検索行動から考えること

by Shogo

Googel検索結果を開いたとき、だいたい上から三つのリンクを確認することが多い。一つ目をクリックして読み、二つ目を確認し、三つ目で納得する。四つ目以降にスクロールすることは、ほとんどない。これは怠慢ではなく、身体が三つで十分だと学習してしまっているからだ。これは、何かの説明でも理由は三つとか話す事が多い。「3」はマジックナンバーだ。

実際、検索順位別のクリック率を見ると、この行動は、私の個人的なものではないことがわかる。Backlinkoが発表したレポートによると、一位は27.6%、二位は15.8%、三位は11.0%となっており、三位までで約54%のクリックが集中し、4位以降は急速に減衰していく。多くの人が、ほぼ同じ場所で止まっている。三つ目までで判断が終わるという行動は、すでに集団的な習慣になっている。

不思議なのは、三つで足りなかったという経験を、ほとんど記憶していないことだ。三つ目まで見れば、大抵の場合、用は足りる。探していた答えに近いものが見つかり、大きな失敗も起きない。この成功体験が、行動を固定する。

三という数の心理学

この「三つ」という数には、どこか象徴的な匂いがある。少なすぎず、多すぎない。考えている気分になれる、最小限の選択肢だ。さらには、個人的には「3」と言うのは誕生日の関係もあって好きな数字だ。それと、多分、最小の奇数の素数だからだろう。

それはさておき、心理学では選択のパラドックスという現象が知られている。マーケティングでは、「ジャムの法則」として知られている現象だ。選択肢が多いほど、人は判断に必要な認知負荷が増え、かえって決められなくなる。一つだけ提示されると不安になるが、十個並べられると、今度は選べなくなる。三つは、その中間にある。考えることと考えないことの、ぎりぎりの境界線だ。

私たちは、比較しているつもりで、実は安心している。選んだつもりで、委ねている。検索結果の順位は、自分でつけたものではない。アルゴリズムが、過去の膨大な行動をもとに並べ替えた結果だ。それを三つ眺め、納得する。起きているのは判断というより、承認に近い行為なのかもしれない。

委託された思考

三つ目までしか見ない行動が示しているのは、私たちが効率を選んだ、という単純な話ではない。これ以上考えなくていいという感覚そのものを、外部に預けたということだ。

考えることは、負荷がかかる。比較し、疑い、別の可能性を想像するには、時間もエネルギーも要る。心理学用語で、決断疲れ(Decision Fatigue)と呼ばれるこの現象は、選択の回数が増えるほど認知リソースを消耗させていく。三つ目までで止まるという行為は、その負荷を最小限に抑える技術でもある。スティーブ・ジョブスが毎日同じような服を着ていたのは、この決断疲れを避けるためだと言われている。本当かどうかは別として、言いたいことはわかる。

決断の負荷を最小限まで抑えた結果、判断力は衰えたのだろうか。おそらく、そうではない。判断力は消えたのではなく、役割を変えた。かつては選択肢を探す力だったものが、今は提示された選択肢を受け入れる力に近づいている。これは、良い悪いの話ではない。ただ、質の変化だ。

三つ目までしか見ない世界では、想定外の選択肢に出会う確率が下がる。だが、その代わり、失敗の確率も下がる。私たちは、発見と引き換えに、安定を手に入れた。人生の大成功は無いが失敗もない世界だ。

一つの答えしかない未来

検索結果を三つまでしか見ないという行動は、実は、すでに次の段階への準備だったのかもしれない。生成AIに質問すると、返ってくるのは基本的に一つの答えだ。文章として整えられ、論点は整理され、余計な分岐は省かれている。

そこには「回答A」「回答B」「回答C」は並ばない。それでも、多くの場合、それで足りてしまう。検索結果を三つ眺めていたときより、むしろ楽だ。比較する必要もなく、どれを選ぶか迷う必要もない。ここで起きているのは、選択肢の圧縮ではない。選択そのものの消失だ。

検索は、少なくとも形式上は選ぶ行為だった。上位三つのリンクを見比べ、どれかを選ぶ。そこに、わずかながらも判断の余地があった。AIの回答には、その余地がない。あるのは、これが答えという提示だけだ。

不思議なことに、その一つの答えに、あまり抵抗を感じない。むしろ、歓迎している節さえある。理由は単純だ。それで、だいたい困らないからだ。一つの答えが返ってきて、作業は進み、文章は書け、問題は解決する。失敗する確率も低い。

この成功体験が積み重なると、他の答えがあるかもしれないという発想自体が、だんだんと面倒なものに変わっていく。検索結果を三つまでしか見なかった私たちは、AIの一つの答えにも、すぐに馴染む。むしろ、三つすら多かったのではないか、と思い始める。

思考の変動

ここで、判断力はどうなったのだろう。奪われたのか、退化したのか。おそらく、どちらでもない。判断力は「使われなくなった」だけだ。

前に読んだMITの研究では、AI利用で認知努力が32%減少したと報告されていた。AIが提示する一つの答えに対して、私たちがしているのは、判断ではなく、採用になっている。その答えを使うかどうかを決めているだけで、他と比べているわけではない。

この状態に慣れると、自分で問いを立て直す力が、少しずつ鈍っていく。なぜなら、問いは本来、複数の答えがありうるという前提から生まれるものだからだ。答えが一つしかない世界では、問いもまた、一つに収束していく。これは、効率の話ではない。思考方法が変わるという話だ。

選択肢が減ると、迷いが消え、決断は速くなる。だが同時に、偶然の発見も減っていく。検索結果の4位以下にあった、少しズレた視点や、回りくどい説明、専門的すぎて不親切な文章。それらは、多くの場合、効率が悪い。だが、ときどき、思考を横にずらす力を持っていた。散歩で道に迷って、思いがけないものや出来事に出会うというようなことが起こらなくなる。先に書いたように、失敗もないが、平凡な人生ということだ。

AIが一つの答えしか出さなくなる世界では、その出会いが起きにくくなる。私たちは、正しさに早く到達する。だが、その正しさがどこから来たのかを、あまり気にしなくなる。

委ねることの代償

便利さの正体は、選ばなくていいこと、迷わなくていいことだ。だが、迷わないということは、自分の基準を更新しないということでもある。

マーケティングの文脈で考えると、この変化は消費者行動の根本的な転換を意味する。かつて購買意思決定プロセスは「認知→関心→比較→購入」という段階を経ていた。しかし今、比較のステップが急速に縮小している。AIが推薦する一つの選択肢を採用するだけで、購買が完結する未来が近づいている。広告やウエブを見て、自分で迷って決断するということが無くなる。

ここで問われるのは、人間の欲望や嗜好が、本当に一つの正解に収束するのか、という根源的な問いだ。マーケティングは長年、消費者の多様性や趣味・嗜好を前提にセグメント化を進めてきた。しかしAIによる最適解の一元化が進めば、その多様性そのものが、ノイズとして処理されていくかもしれない。

立ち止まる余白

検索結果を三つまでしか見なかった行動は、すでにその予兆だった。一つの答えに満足する準備は、ずっと前から整っていたのだ。AIが一つの答えしか出さない未来は、突然やってくるわけではない。今の検索行動が、そこへ向かっていた。

今日も、AIの答えを読み、納得して、次へ進む。それで困らない。だからこそ、少しだけ、立ち止まりたくなる。他の答えがない世界で、本当に考えているのだろうか。

四つ目や五つ目の先に、あるいは何ページも下にある、アルゴリズムが不要と考えたリンクの先にあったかもしれないものを、最初から見ないことにしているのではないか。三つ目までで十分だと感じる、この感覚こそをもう一度、考え直すことがAI時代への備えかもしれない。

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