ライカ身売りのその後

by Shogo

ライカの身売りの話は、まだ続報が出ていない。1月23日のBloomberg報道以降、交渉はまだ始まっていないか、初期段階というのが状況だろうか 。ブラックストーンとカウフマン家はアドバイザーを起用して潜在的な買い手と接触を続けているものの、正式な入札プロセスにはまだ入っていないと伝えられている 。ライカ自身は公式声明を出しておらず、売却が成立する保証はないと複数のメディアが伝えている 。

買い手候補

現時点で名前が挙がっている主な買い手候補は以下のとおり

  • HSG(紅杉中国 / 旧Sequoia Capital China) ― 中国系の大手プライベートエクイティ
  • Altor Equity Partners ― スウェーデンの欧州系プライベートエクイティ
  • アジア系光学メーカー(具体名は未公表)
  • Zeiss(ドイツの光学大手。2017年の過去の売却交渉でも関心を示していた)

なお、シャオミ(小米)やファーウェイ(華為)の名前は交渉関係者からは公式に出ていない 。両社は協業パートナーとしてライカブランドを活用してきた経緯はあるが、企業買収の意向については報道されていない状況だ。

ということで、現時点では、どうなるかか分からない。ユーザーとしては気にはなるが、誰が買収しても、企業価値を損なうようなことは行わないだろうから、安心して推移を見ている。

それで、過去のライカの所有者を調べてみた。

  1. ライツ家による創世記(1869年〜1980年代)

ライカの源流は、1849年にカール・ケルナーがドイツ・ウェッツラーに開いた光学研究所にある。1869年にエルンスト・ライツ1世が事業を引き継ぎ、顕微鏡を中心とする精密光学機器メーカーへと成長させた。

写真史の転換点をもたらしたのは、熟練工のオスカー・バルナックだ。重度の喘息を抱える彼は、35mmフィルムを横送りに使う小型カメラ「ウル・ライカ」を1914年に試作。戦後の混乱を経て1925年に「ライカI」として量産化されると、アンリ・カルティエ=ブレッソンやロバート・キャパらが「決定的瞬間」を撮影できるようになり、20世紀の視覚史を記録するツールとなった。

戦後は生産拠点を拡大したものの、1960〜70年代に日本メーカーが一眼レフ(SLR)で席巻すると状況は一変した。ライカ自身のエンジニアが基礎を築いたオートフォーカス技術も商業化を怠り、日本勢に先を越された。1980年代初頭にはカメラ部門が慢性的な赤字に陥り、顕微鏡・測量機器部門の利益で補填される体制が続いた。

第2章:構造改革とデジタル化の波(1985年〜1999年)

1985年にスイスのWild Heerbrugg AGがライツ家の株式を取得、1987年に合併して「Wild Leitzグループ」が誕生。1988年にカメラ部門は「Leica GmbH」として独立し、ゾルムスへ移転した。当時ライカが年間2万台しか販売できなかった一方、提携先のミノルタは250万台を売るという規模格差が生じていた。

1990年の再編でLeica Camera AGは独立法人となり、1996年にフランクフルト証券取引所へ上場。同年に初のデジタルカメラ「Leica S1」を発表するなどデジタル領域への模索を始めたが、組織の変革スピードは技術進化に追いつけなかった。

第3章:エルメス時代(2000年〜2006年)

経営危機の中、2000〜01年にエルメス・インターナショナルがライカ株の約30%(最終的に36.2%)を取得した。当時のエルメス社長ジャン=ルイ・デュマは自身もライカ愛好家であり、「比類なき職人技と芸術性」をラグジュアリーの文脈で再定義しようとした。限定コラボモデルの投入や直営店のラグジュアリー化など、ブランド戦略は一定の成果を上げた。

しかしデジタルセンサーはムーアの法則に従い2年ほどで陳腐化する。伝統的な職人品質を強みとするエルメスにとって、半導体・ソフトウェア開発への継続的な巨額投資は本業を大きく逸脱する行為だった。2004〜05年に経営危機が再燃すると、テクノロジー企業としてのライカを支えることに限界を感じたエルメスは、2006年までに全株売却を決断した。

第4章:カウフマン家による再生(2006年〜2011年)

エルメスから株式を引き取ったのが、オーストリアの富豪で元文学教師というユニークな経歴を持つアンドレアス・カウフマン博士だ。ACM社を通じて2004年から段階的に株式を取得し、最終的に約97%を掌握。私財から6000万ユーロ超を投入した。

最大の成果は2006年発表の「Leica M8」である。従来のMマウントレンズとの完全互換を維持するため「6ビットコーディング」システムを開発し、旧世代レンズの光学特性をデジタルで自動補正することを可能にした。こうしてライカは「遅れたテクノロジー企業」から「光学遺産をデジタルで蘇らせる唯一無二のラグジュアリーメーカー」へと変貌した。

第5章:ブラックストーン参画と完全非公開化(2011年〜2017年)

2010/11年度に売上57%増という記録的V字回復を果たしたライカは、アジア・中東・南米への本格展開を目指してパートナーを求めた。2011年10月、ブラックストーンがACMからライカ株44%を約1億3000万ユーロで取得。企業全体の評価額は約2億8000万〜2億9000万ユーロとなり、ACMは55〜56%の支配株主として残った。

2012年には残存する少数株主株式を強制買い取りし、完全に上場廃止。短期利益を求める公開市場の圧力から解放されたことで、高価格・高品質路線への集中が可能となった。2014年には創業の地ウェッツラーへ本社を戻し、「ライツ・パーク」キャンパスを開設してブランドの神話性をさらに強化した。

2017年にブラックストーンは保有株の売却を模索したが不成立に終わった。背景には評価額の不一致に加え、ライツ・パークの所有権がカウフマンのファミリー・トラストに帰属し高額賃料が利益流出と映った点、また新たな投資家が過半数を取れない構造的な問題があったとされる。

現在検討されている2026年の支配権の移行は、ライカにとって、カウフマン博士という強力な個人のパトロンからの自立を意味するだろう。もし、買収が成立するなら、古き良き機械的芸術品をベースに、最新テクノロジーを統合しつつ、100年を超えて愛されているブランドイメージを守るという責任が課せられる。一ユーザーとしては、今後もライカを使い続けられ、今使っているM11や多くのレンズの資産価値が減じられないことを願うのみだ。

You may also like

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

error: Content is protected !!