大掃除というか、終活か、本を大量に中古書店に送った。すでに数十箱送っているが、まだ大量にある。しかも、どうしても処分したくない文学全集などは実家に送って、そこにも、もっと本はある。その処分する本の中から大量の積読も発見した。もう読まないであろう本は売ってしまったが(ほぼ無価値だが)、何冊かは手元に出して、これから読もうと考えている。
家人が本の量についてうるさいので、最近は本はKindleで買っている。それでKindleライブラリも改めて眺めると、未読の本が並んでいる。哲学書から気候変動レポートまで、買ったはいいが未続のファイルがずらりと並ぶ。意識高い自分の演出のために格好をつけて買ったが、興味を持てなかったということだろう。そこで画面をスクロールしても、本の背表紙の重みは感じられない。紙の本なら床に積み上がり、視界を圧迫して読まなきゃと思うのだろうが、Kindle本はデータの底のデジタルゴミとなって視界から消える。
積読の山と見える効果
机の上に積み上げられた「積読」は、無言の圧力を放つ。金銭は別にして、何かの知的好奇心から買ったはずなのに、その責任を果たしていないと無言の圧力をかけてくる。だが、クラウドに格納された本たちは、アプリを開かない限り目に入らない。検索しない限り、存在しないのと同じだ。読めば学びはあったはずなのに、Kindle本は無知蒙昧の私を責めることはない。
見えない罠
この「見えない化」は、本棚の中だけの話ではない。世界認識そのものが、Kindle化している。今や画面をスワイプするだけで、不快なニュースは視界から消せる。ウクライナの塹壕も、ガザ地区の瓦礫の山も、私たちの指先ひとつで非表示にできる。その結果、アルゴリズムは、好まないニュースは非表示にしてゆく。
かつて新聞は、新聞社の客観的な(私の観点でなく)判断で、否応なく悲惨な現実を記事で突きつけてきた。読みたくなくても、見出しが目に飛び込んでくる。そこには、無視できない物理的な重みがあった。
しかし、デジタル空間はあまりにも見かけは美しく軽い。アルゴリズムは、心を痛めたり、関心を失ったりしたトピックを敏感に察知し、タイムラインから静かに排除する。ウクライナやガザの悲惨さも、精神衛生のために「非表示」や「ブロック」という操作の対象だ。まるで、最初から何もなかったかのようにだ。だから、私は世界の一部をなかったことにして生きている。昔、英語の勉強で習った「out of sight, out of mind」を思い出す。
政治・社会への影響
このような現象は、昔は無かった言葉の「エコーチェンバー」だ。選挙期間中にアルゴリズムが特定のニュースをフィルタリングすると、有権者は重要な政策や議論を知らぬ間に見落とす。重要な争点であるべき、財政問題や移民政策の複雑さも、フィルターバブルの中で「見えない」問題にされがちだ。結果、関心は「見える」問題に偏り、社会全体の重要な課題が軽視される。消費税だけが特出しで、重要問題化してしまう今は末期症状だ。もっと重要な問題があるだろう。
さらに、SNSやニュースアプリは、ページビューを稼いで収益を上げるために、刺激しないコンテンツを優先する。社会問題は「ノイズ」として扱われ、無関心が固定化される。そこに、さらに確証バイアスが私たちをエコーチェンバーの空間に閉じ込める。自分の既存の信念に合う情報だけを選び、異質なものを避けるからだ。生成AIが加わると、さらに深刻だ。ハルシネーションすら正しそうと受け止めてしまう過信バイアスが、誤情報を増幅させる。
個別に最適化されたネット空間の快適さは、危険であることを認識できなくしてゆく。視界から消えた積読のように、戦争や貧困が無かったことになる。ネットメディア・SNS時代に無関心は構造に組み込まれ、増幅する。結果として、平和や無争点の錯覚が、社会の停滞を招く。
今やらなければいけないのは、積読の紙の本のように、部屋を圧迫して、不都合な現実を目も前に見せてくれる方法を自ら見つけることだろう。
