鶴は千年、亀は万年と言う言葉がある。実際に亀のような冷血動物は長生きをするようだ。セイシェルの動物園の亀は今年190歳を迎えたと言う。20世紀の初めに、このジョナサンと言う名前の亀の誕生日を正確に記録していたのか疑問もあるが、長生きであることには間違いない。また、サンショウウオには100年生きる種類もいて、ジョナサンのように200年近く生きる亀もいる。
研究者のグループが多くの爬虫類と両生類のデータを収集し、過去数十年にわたるデータを分析したところ、これらの動物は老化が非常に遅いことがわかったという。ある種類の亀では、負の老化率を示し、年齢が上がれば上がるほど死亡のリスクが下がっている。
また動物園で飼われている個体群と野生の個体群を比較すると、動物園の個体群は老化のスイッチを切っていると思えるほど老化しないこともわかった。最適な環境で、危険もなく、理想的な食事を与えられていると、老化をしないと言う事のようだ。
哺乳類や鳥類のような温血動物は、このような事は見られない。温血動物は性的に成熟すると、生殖にほとんどのエネルギーを費やし、個体の維持のための老化した細胞の修復は後回しになると言う。研究者たちは、冷血動物をさらに調べ、老化についての研究を進めると言う。この記事からわかる事は、老化についての研究の成果は私には間に合わないと言う事だけだ。
動物園で飼われている亀などが、最適な環境と理想的な食事で老化のスイッチを切ると言う部分に興味を惹かれた。それは、たまたま昨日、多くの芸能人が自死をしていると言う事を妹と話したからだ。目立つのは芸能人だからで、実際にその数はもっと多いということだ。2人で車で移動する際に、他に会話することがなかったから何かの話の流れで出ただけで大きな意味はなかった。でも、死ということが、一昨日の小田嶋隆さんの病死のことで、頭のどこかにあった。
人間は、現代においては、安全な環境と豊富な食料が与えられている。人類の歴史上、かつてなかったことだ。だが、亀のように、おとなしくそれを生かして生きていくことができないようだ。高度な脳を持つ生き物として、知的生産能力も含めて、感情や欲望は亀とは違う次元にある。このことが、老化の問題だけではなく、自らを危険な状況に追い込んでしまうケースもあるようだ。歳をとるにつれて死亡率が下がっていくような亀のような生き方は人間には無理なのだろうか。
一昨日、亡くなった小田嶋さんは、コラムや本を楽しみにしている書き手の一人だった。その独特の視点と鋭い切り口は、いつも新鮮な驚きを与えてくれていた。彼のファンとして、そして同年代の男として、彼の早すぎる死には衝撃を受けた。
若くしてアル中に苦しむ生活を行っていたことと、この数年の病気に関係があるのかどうかは、わからない。多分全然関係ないのかもしれない。しかし彼の文章を読んでいて、彼の感性や感覚は世の様々な出来事に対して、多くの軋轢や疑問を感じていたと言う事は想像に難くない。その点、ぼーっと生きている私とは大きな違いがある。私はどちらかと言えば動物園のカメのように面倒な事象には目をつぶって安全なところでぬくぬく暮らしているだけだ。でも、あるいは、だからこそ、小田嶋さんの書くコラムや本からは多くの刺激を受けていた。そういう意味で同時代の、楽しいサッカーファンであり、偉大な書き手であり、世の裏側を切り開いて見せてくれる人を失った事を残念に思っていた。小田嶋さんの死は、もちろん自死ではないが、なぜ人間は安全に生きていけないのかと言う疑問が、妹との会話につながったのかもしれない。ご冥福をお祈りします。