技術系ライターがSNSに書いていた記事を読んだ。彼女は、昨年末に、しばらく離れていたSNSに戻ったようだ。確かに技術系ライターとしてはSNSをカバーすべきだろうから、戻るのは職業的に必要だったろう。
彼女は、「前にSNSを止めた時は、通知を切り、アプリを削除し、アカウントそのものを消して脱出したのに、今回は違った。数分で退屈と嫌悪感が湧き上がり、スマホのほうが勝手に置かれた。変わったのは私ではなく、プラットフォームそのものだった」と書いている。
また、「Instagramを開くと、友人や家族の投稿が一瞬見えるが、その直後に広告、知らない人へのおすすめ、インフルエンサー動画、また広告。かつては元同僚のどうでもいいつぶやきや、友人が床に落としたパンの写真が、奇妙な疑似的つながりを生んでいた。それが今では広告と収益化コンテンツに挟まれて細くなり、実在の人間が去り、FOMOも消えた」と続く。
確かに、TikTokはショッピングモールと化し、YouTube ShortsにはAI生成動画が溢れている。不思議な、出来の良くないAI映像を見るために、SNSを開くわけではないだろう。
なぜ、そうなったかは明確だ。それは、お金だ。SNSプラットフォーム企業が成長を求められるのは当然だ。SNSの成長は「滞在時間」「広告表示」「購買」に直結する。そうなると、コンテンツのフィードは会話より商品棚に近づいていくのは当たり前だ。
TikTokは意図的にショッピング可能なコンテンツで溢れかえり、YouTubeはエンゲージメントを重視するあまり、AI粗悪コンテンツを量産する者たちに報酬を与える。日本国内でもTikTokの収益化が停止される事例が続出しており、「切り抜き動画」や「転載コンテンツ」はオリジナル性が低いと判断され、収益化対象外になるケースが増えているそうだ。。
個人的には、人生の残り少ない時間の節約のために、SNSをあまり使わないようにしている。それでも、SNSには価値があると思っている。
年に一度会うかどうかの知人の近況、家族の写真などが無料で流れてくるのは強い。新しい情報、異文化などの偶然性は検索では届かない。
だから、SNS断ちをする必要はない。完全に断つと困ることもある。イベントや人脈の維持、友人との連絡、社会の空気を知ることなど意味はある。だから、答えは二択ではない。「全部やめる」か「続ける」か、ではなく、薄く使うという第三の道だ。
そのためには、通知をオフにし、一番目のホーム画面から後ろへ移し、ログアウトする。そして、たまにチェックする期間を決める。友人は特定リストだけにする。こうすれば、広告とおすすめの侵食を防げる。ニュースはRSSやニュースレター、趣味はYouTubeの登録チャンネル中心、友人はグループチャットだけにするのが良いだろう。
SNSが完全な悪になったわけではない。だが、今は巨大なショッピングモールに近くなってきた。モールに住む必要はないが、たまに行く価値はあるだろう。自分のルールで世界への接続方法を取り戻すことを、まず考えるのが良い。
