習熟というロックイン

by Shogo

サブスク疲れの正体を管理コストの増殖と感じたことは以前に買いた。だが明細を見つめ直すうちに、もう一つの疲れに気づいた。それは、解約しようとした瞬間に立ち上がる習熟の喪失への恐怖だ。料金の高さに躊躇するのではない。そのツールに慣れ親しんだ時間が、解約を妨げる。サブスク疲れの第二の層は、関係の商品化が生む管理負担だけでなく、私たち自身の時間投資が作り出すロックインにあると思うようになった。

明細には、数百円から数千円の引き落としが並んでいる。目につくのは複数の映像配信のような娯楽だけではなく、思考と情報整理、制作のインフラだった。Notion、ユーティリティ、ノート系アプリ、そしてAdobe。支出の大小よりも気になったのは、自分が何を契約しているかを自分で説明できない状態である。この曖昧さが、サブスク契約に関する自分の不満の元だ。サブスク疲れとは、可処分所得の問題である以前に、可処分注意と可処分判断を侵食する現象なのかもしれない。

前回買いたように、サブスクが増えると家計は変動費ではなく固定費の束となる。だが疲れの実体は、固定費の金額そのものより、運用コストの累積にあると思う。更新日、無料期間、プランの枝分かれ、同期、容量、請求名の曖昧さが付きまとう。

しかもこの運用は、完了しても効用が可視化されにくい。やっても評価されず、やらないと損をする。ここで増えているのは金額ではなく、認知的負債だ。そして今回考えたいのは、この負債が単なる管理の手間にとどまらず、ツールへの習熟という形で私たちの行動様式そのものに埋め込まれているという点だ。

この負債は、ツールの種類によって質が変わる。Notionは切れない。そこに研究メモや資料、授業準備、思考の痕跡が蓄積すると、Notionは単なるアプリケーションではなく思考のOSになる。

OS化した道具の価値は、機能一覧に還元されない。価値は、検索の癖、リンクの組み方、テンプレートの身体化といった利用者側の行動様式に宿る。ゆえに解約は節約ではなく、認知インフラの再設計になってしまう。これは想像以上に重い。

Adobeも同様に、価格の問題だけでは説明できない。前回触れたように、Adobeはサブスク化で予測可能な収益を確保し、経営の安定性を高めた。しかし生活者の側から見ると、Photoshop系が切りにくいのは代替の有無ではなく、スイッチングコストの内実がデータ移行ではなく熟練の移植にあるからだ。

レイヤーの捌き、ショートカット、微調整の感覚などは、機能ではなく習熟であり、習熟は資産であると同時にロックイン装置でもある。サブスク疲れは、支払いの痛みというより、自分の時間投資が解約を妨げる構造が可視化されたときに生じるのだろう。マーケティングで言う「学習コスト」によるロックインだ。

対照的にPremiereは切れる。ここで重要なのは、私がFinal Cut Proを買い切りで持っているにもかかわらず使っていない点だ。買い切りはしばしば自由の象徴として語られるが、所有それ自体は価値にならない。

使われない買い切りソフトは、固定費ではなく死蔵資産として、未回収の投資感として心理的コストを生む。サブスクか買い切りか、という単純な対立軸では足りない。問うべきは、ツールが生活の中で運用されているか、それとも放置されているかである。これも、Final Cut Proの習熟に時間をかけてこなかったことのつけだ。

前回述べたように、企業がサブスクに賭ける合理性は明確だ。継続課金で将来の見通しが立ち、初期費用が下がり新規顧客を獲得しやすく、クラウド連携で利用データを取得し体験を最適化できる。つまりサブスクは、顧客体験を提供する一方で、顧客行動を計測し、継続を管理する経営装置でもある。

生活者の疲れが増えるのは偶然ではなく、企業のKPIが生活者の意思決定に接続されるほど、運用タスクが生活につきまとう。そしてその疲れは、管理コストだけでなく、習熟という時間投資によっても強化される。

習熟を指標にしたサブスク・ポートフォリオの再編

だから結論は、節約ではなくポートフォリオの再編になる。Photoshopは残し、Premiereは切る。Notionは、唯一のOSとして集約する。これは支出最適化ではなく、意思決定負荷と習熟投資の最適化だ。

前回、「そのサブスク契約が日常をどれだけ豊かにしているかを考える」ことの重要性を指摘した。今回はさらに踏み込んで、明細を感情ではなく、指標で確認するとこだ。そのツールKPIは三つだけだ。

  • 意思決定回数:月に何回、プランや更新や解約で判断を迫られているか
  • 月次運用時間:比較・設定・移行・同期トラブル対応など、使う以外に何分取られているか
  • ロックイン度:そのツールを手放すときに失うのは機能か、それとも習熟・データ・思考の動線か

数えると見えてくる。ツールを増やせば生産性が上がる、という直線的な物語から降りて、どのツールが認知インフラになり、どのツールが単なる機能供給に留まっているかを区別する。前回論じた「関係の商品化」に対抗するには、入り口と同じくらい出口を簡単にすることを企業側に求めるだけでなく、自らの習熟を資産として自覚し、その資産をどこに配分するかを戦略的に決めることが必要だ。機能ではなく習熟へ課金しているかどうか考えることが出発点だ。

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