シン「インターネット的」

by Shogo

20世紀の終わりに、糸井重里さんの「インターネット的」を読んだ。そこで語られたflat/Link/shareはインターネットの説明として完璧だ。インターネットは、上下の段差が少ない(flat)。参照が連鎖する(Link)。複製と共有が容易(share)。この三つが揃うと、情報の流れが民主化したと思ったものだ。インターネットを授業で説明するときは必ず使っている。

言い換えるなら、インターネットは、地図ではなく、地形だった。地形だから、人が歩けば道ができ、道ができれば別の人が通る。シンプルで、どこか明るかった。当時の冷戦終結後のグローバリズムとともに、明るい未来と希望を見せてくれた。

ところが今、同じ三語は有効と思うが、体感が違うように感じる。構造や特性は同じなのに、どこか違う。インターネットの土台としては頑丈に残っている。誰でも投稿できるし、リンクで文脈にも飛べるし、シェアで広がる。なのに、風景が変わった。

理由は、2000年以降に環境が変わり、新しい運用の層が乗ったからだと思う。

環境変化の第一は、モバイル化だった。インターネットがPCの前で接続する場所から、ポケットの中に常駐する環境へ移った。インターネットは生活の隙間に滑り込み、隙間そのものを広げてしまった。

第二は、常時接続である。更新はするものではなく、されるものになり、タイムラインは川のように流れ続ける。第三が、プラットフォーム依存。見ているのは、インターネット全体ではなく、少数の巨大プラットフォームが設計した切り取り方になった。YouTubeでおすすめの配列が変われば、流行の寿命が伸び縮みする。TikTokやInstagramの仕様が変われば、界隈の言語が変わる。

このインターネットの環境・構造が、流行の生まれ方を根こそぎ変えた。昔の流行には、どこか全国放送っぽい匂いがあった。少数のメディアが灯台のように光り、みんながそれを見て、翌日の話題にする。いまの流行は違う。点火が同時多発する。しかも、見えている火種が人によって違うようだ。

ここを説明するために、糸井さんの三語に、追加の三語を足したくなる。例えば、次の三語だ。おすすめ/ログ/個別化。いずれも、インターネットの流行の界隈化と現象を語るために解像度を上げるのではないかと思っている。

おすすめ——編集権がアルゴリズムへ移った

いまの流行の入口は、リンクを辿って見つけるより、フィードで出会わされる比率が高い。検索は残っている。でも日常の入口の主役はフィードだ。自分の選んだタイムラインだけでなく、「おすすめ」が供給される。

ここで起きる最大の変化は、流行の編集権が、友人の口コミや雑誌編集部から、アルゴリズムへ移ることだった。おすすめとは、世界の並び順そのもの。誰が上座に座り、誰が一列目に映るか。かつては編集者や放送枠が握っていた権限を、いまはアルゴリズムが握る。

だから同じインターネットにいても、出発点が人によって違う。流行は一斉に全国へではなく、同時多発であちこちに、立ち上がる。短い動画や画像が強い場所で、マイクロトレンドが高速回転するのは偶然ではなく、入口の構造的帰結だ。入口が変わると、世界の歩き方が変わる。歩き方が変われば、流行の形も変わる。

ログ——反応がきっかけ

おすすめの燃料はログである。どんな人が何を見たか、どこで止まったか、何秒で離脱したか、どの音源に反応したか。行動履歴がほぼ自動で記録され、推薦に再投入される。

文化的に重要なのは、ログが好みだけでなく、反応を学習する点だ。強い反応はデータが濃い。すると流行は、何かの魅力だけでなく、真似しやすいからとか、ツッコミやすいからで増幅しやすくなる。

ここで創造性の質が変わる。職人的に完成させる創造性から、反応を見ながら調整してゆく創造性へ。試して、微調整して、また試す。実験が安くなり、修正が速くなる。永遠のベータ版だ。

界隈の表現は軽やかに進化する一方で、伸びる型への収斂も起きる。この二つを同時に引き受けるのがログだ。ログは創造のアクセルでもあり、型にはめるハンドルでもある。

個別化——小部屋が無数に生まれた

ログとおすすめが結びつくと、流行は、あなた向けにパーソナライズされ最適化される。ここで界隈化が決定的になる。昔もサブカルはあったけれど、いまはサブカルが、小さい必要はない。個別化された配信は、小さな界隈を見つけ、育て、濃くする。

結果として、流行は、共通の大きな物語から無数の小さな物語へ移る。国民的ヒットがゼロになったのではなく、ヒットの定義が、個人のフィード内での覇権へずれた。しかも、その覇権は近所の人や友人と一致しないことがある。

ここに、現代の流行の孤独と創造の自由が同居する。孤独と言っても悲観だけではない。むしろ、自分の小部屋を持てることで、趣味が趣味のまま濃くなる。好きが、保護される。これは素晴らしいことだ。その代わり、共通の話題で肩を並べる瞬間が、少し減る。

フィルターバブルという透明な壁

ただし、おすすめとログと個別化が組み合わさると、もう一つの現象が起きる。フィルターバブルとエコーチャンバーだ。

アルゴリズムは、ユーザーの過去の行動や好みに基づいて情報をフィルタリングする。その結果、自分の興味や意見に合致する情報ばかりが届くようになり、異なる視点や意見に触れる機会が減っていく。これがフィルターバブルと呼ばれる透明な泡に包まれたような状態だ。

さらに、同じような考えを持つ人々が集まる界隈では、似た意見が反響し合い、増幅される。これがエコーチャンバー現象。自分の意見が正しいと確信し、異なる意見を持つ人との対話が難しくなる。糸井さんが描いた「flat」な世界観、誰もが対等に意見を交わせる水平性は、形式上は残っているのに、実質的には分断されていく。

廊下の照明が、人ごとに点滅する

それでも、糸井さんの三語は引き続き有効だ。flat/Link/shareは、いまもインターネットの土台を説明している。ただし、その上におすすめ/ログ/個別化が乗ったせいで、流行の動力がリンクの網からフィードの配給へ移り、広がり方が一斉拡散から界隈の同時多発へ変わった。

モバイル化がそれを生活の隙間に溶かし込み、常時接続が更新を止められなくし、プラットフォーム依存が社会を動かす。創造は同時多発になり、リミックスと反復が文化のエンジンになり、マイクロトレンドが日々生成される。

私たちは、かつて感じた巨大な広場にいるのではない。無数の小部屋が廊下でつながった建物を歩いている。しかもアルゴリズムのおすすめと言う廊下の照明が、個人ごとに点いたり消えたりする。そして、その照明が照らすのは、ユーザー毎にいつも同じ方向ばかりかもしれない。糸井さんの「インターネット的」は変わっていないのに、運用が変わった。その違和感の正体を、もう少し丁寧に見つめる必要があると思う。インターネットの明るさは少し陰った気がしている。

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