今週の東京は私には都合よく、涼しい日が続いていて、秋の気配が感じられる。会社を休んだ日に上野までフェルメール展を見に出かけた。この展覧会には7点の作品が来日している。30数点といわれる現存する作品からするとかなりのシェアである。
混雑を避けて朝一番に行ったので、混雑は大したことがなかったが、作品から2メートル近く離れて見なければいけないことと、作品保護のために薄暗く、正直言ってあまりよく見えなくて不満が残った。
特に今回は2004年に真作という鑑定が出た「ヴァージナルの前に座る若い女」が来日している。この作品はサザビーで個人に売却されたためにこういう機会でもないと見ることはできない。この作品については、未だに真贋論争が続いており、また唯一の個人蔵ということもあり、興味があった。
昨年「私はフェルメール」という本を読んだ。この本は第二次世界大戦中の実話で、小説だとするとこんなリアリティの無い話はないのだが、これが実話だから驚く。
第二次世界大戦が終わり、独立を回復したオランダのお話。画家兼画商の男のもとに警察が来る。国家反逆罪で逮捕だという。理由は国家の宝のフェルメールの作品をナチスのゲッペルスに売ったからだ。実はそのフェルメールは彼が贋作したもの。告白すれば国家反逆罪は逃れられるものの、あちこちの美術館に購入されている彼が関係した著名な作品(彼の作品)はすべて廃棄されるかもしれない。
才能ある画家が贋作者となり、偽物のフェルメールなどを創作して美術館に売ることで金銭的だけではなく、自分の才能を美術界に認めさせて満足していた彼はどうする。
最終的には裁判の過程で、法廷でフェルメールを描いて見せて疑いを晴らし、一転ナチスをペテンにかけたヒーローとなる。
この本を読んでフェルメールが、チューブから絵具を出して絵を描いたわけではないこと(映画の真珠の耳飾りの少女にも顔料から絵具を作るシーンが出てくる)、フェルメールの絵の特徴のブルーはウルトラマリンという物質で当時も金よりも値段が高かったこと、作品数が少なくて希少性が高いため盗難や贋作の対象になってきたことなど、情報としても面白かった。そしてなにより絵という美術品の価値について考えさせられた。
帰りに上野公園を散歩。
曇ったり日が差したりの天気で、北京にはない天気。北京の空は、ガスの日か真っ青な空の日かどちらかが多い。(ガスの日が日数的には多いが)
東京にすれば湿気が少なく日陰の散歩が心地よい。
湿度のせいか、日本が海に囲まれているせいか、光の色が北京とは違うようにいつも思う。