写真の整理をしていて、昔の、といっても5年ほど前のものだが、写真を見て、この言葉を思い出した。
すべてに理由があるとでも訳すのだろうか。外国人の友人のお母さんが言った言葉だそうだ。
出張中に二人で食事に行って、何杯ものワインの後で彼が言った言葉は衝撃的だった。母国のサッカーのナショナルチームを目指していた彼を襲った交通事故。その結果、15年間の車椅子生活だったそうだ。今は普通に歩いて、ジョギングもしているからそんなことがあったことは知らなかった。 何ということだ。
そんな彼にお母さんが言った言葉だそうだ。何が起こっても良くないことでも、良いことでも、それは理由があるということだそうだ。特に悪いことが起こっても、次の何かの準備だったりするというのだ。しかし二度と歩けないことが起こっても理由があるのだと済ます勇気は私にはない。
彼は、車椅子でパラリンピックを目指していたそうだが、若い体は徐々に回復してついには健常者に戻ったのだそうだ。結果が良いから何かの準備だったのかもしれないが、そうでない人もいる。理由があると思えるには強い精神力が必要だろう。
前にパラリンピックに関わった時に聞いたのは、先天性ではない障害の人の場合にはその絶望から立ち直ってさらに努力を続けて選手になるということは並の精神力ではできないということだ。だからこそ尊敬されるべきだし、そして大事なことは、障害があるかわいそうな人ではなく、障がいという個性を持った人であり、優れた能力を持つ人として尊敬されるべきだということだった。だから本当はオリンピックとパラリンピックは一緒になって100mの競技とか車椅子の100mの競技とかがあるべきだといういう意見だった。確かにそう思う。
すべてのことに理由があって、そのために強い精神力を持つ人になれたのだろうか。たくさん飲んで、遠い道を二人で歩いて帰りながら色々な話をしたが、すべてのことに理由があるという言葉がずっと頭の中に残っていた。