再び「らしさ」について

by Shogo

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東京オリンピック2020が決まって一日過ぎた。興奮が収まって考えてみると、日本のプレゼンテーションは、欲目で見ているのだろうが、すごく良かった。マドリッドのプレゼンテーションは途中で寝てしまって半分は見ていないのだが、東京のプレゼンテーションは良くできていたし、うまく行われた。コンセプト、話題とその順番、映像のどれをとっても他の都市より良い(と感じた)それからそのデリバリーだ。日本人も十分に訓練を受ければ笑顔とかジェスチャーとかうまくできるのかと思った。

さすが若いアスリートは、伊達にメダルをとっていない。目標を目指して厳しい訓練に耐えることとプレッシャーの中で実力を発揮できるのだと思った。日本人らしい、消極的な、ネガティブな意味での謙虚さとは縁がない。喜びを爆発させて表情を明らかにするのも日本人らしくない。

日本人らしいとは、表情が無くて、YesかNoがはっきりしないで笑顔を浮かべているというイメージだ。まさに私なのだが、それが今までの「らしさ」だ。それが、今回の東京オリンピックは悪い意味での日本人らしくを消し去ることで実現できたのかもしれない。

今回のプレゼンテーションで示された新しい良い意味の「らしさ」を新しい「らしさ」にすべき時が来た。積極的で表情豊かでフレンドリーだが意見をはっきり言える新しい「日本人らしさ」だ。オリンピックの招致はきっとその先駆けになってビジネスや学問の世界でも新しい日本人らしさを作っていくようになればと思う。2020年の東京オリンピックに向けた準備とその開催がそのきっかけになってくれることを祈っているし、そうなると信じている。

2020年の東京オリンピックと言えば「AKIRA」の世界だが、奇妙な偶然だな。それにしても亡くなった父はスポーツとオリンピックが大好きだったから生きていれば今日の日をどんなにか喜んだと思うと残念でならない。

写真は、ロンドンのシティの北側のバービカン。戦後の再開発でできた大規模な街だ。

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