最近、YouTube広告に異変が起きていることに気が付いた。冒頭の数秒間、画面には映像が流れているのに、音がまったく聞こえない広告が増えているのだ。故障したのかと思ったら音が流れ出すという手法だ。普段はながら見が多いので、これによって却って画面に目が行き、広告を見てしまうことが増えた。
この無音広告は、たぶん研究された結果、生み出された認知獲得の手法なのだろう。行動経済学者のダニエル・カーネマンが指摘するように、人間の注意は有限な資源である。ネット時代の私たちは、1日に平均4000以上の広告メッセージに晒されているという推計もある。この環境下では、注意を獲得すること自体が最大の課題となった。
ここで重要になるのが、希少性の原理だ。豊富にあるものの価値は下がり、稀少なものの価値は上がる。現代の音環境において、無音こそが最も希少な存在になりつつある。電車の中でも、カフェでも、街角でも、周囲は常に何らかの音で満たされている。だからこそ、突如として訪れる沈黙は、かえって強烈な存在感を放つ。
広告研究者のバイロン・シャープが提唱するメンタル・アベイラビリティの概念も、この現象を裏付ける。ブランドが消費者の記憶に残るためには、独自性のある記憶構造を作る必要がある。音に溢れた環境で無音を選択することは、それ自体が強力な差別化要因となるのだ。
また、認知心理学における「パターン中断効果」は、無音広告の威力を説明する鍵となる。たくさんの騒がしい広告の中で、無音の広告はパターンを打ち破り、新鮮な驚きを与える。人間の脳は、予測可能なパターンを自動的に処理し、意識的な注意を向けない。しかし、予期しないパターンの中断が起きると、脳は警戒モードに切り替わり、その刺激に注意を集中させる。結果として、広告に目が行く。
YouTube広告において、ユーザーは「広告=うるさい音」という条件反射的な期待を持っている。だからこそスキップボタンを押す準備をしながら動画を見る。ところが無音で始まる広告は、この自動的な反応パターンを崩す。「あれ、音が出ていない?」という疑問が、スキップ行動を一時的に保留させる。その数秒間こそが、広告メッセージを届ける貴重な機会となる。
神経科学の研究では、予期しない刺激に対して脳内でドーパミンが分泌されることが知られている。無音という予想外の体験は、視聴者の脳に軽度の興奮状態を引き起こし、続く映像への関心を高める効果がある。
音声オフ環境への適応戦略
実務的な観点からも、無音広告の増加には合理性がある。スマホでの動画視聴において、音声をオフにしているユーザーは全体の85%にのぼるという調査結果がある。通勤電車、オフィス、深夜の自室。多くの視聴環境では、音を出すことが物理的に困難だ。
従来の広告は音声に依存していたため、ミュート環境では訴求力を失った。しかし最初から無音で設計された広告は、その制約を逆手に取る。字幕やビジュアルの工夫により、音なしでも完結するメッセージ設計が可能になる。さらに、途中から音が入ることで、「音声をオンにしてみよう」という行動を誘発する効果も期待できる。
テレビ・ラジオCMにおける無音の規定
テレビCMでは、番組とCMの境界部分に15フレーム(約0.5秒)の無音を入れることが義務付けられている。これは「ノンモン(Non-Modulation=ノン・モジュレーション)」と呼ばれる業界ルールで、ドラマなどの番組が終わる最後の15フレームと、CMが始まる最初の15フレームにそれぞれ無音を設定し、合計約1秒間の無音状態を作る。
ただし、この無音はCM本編の中に含まれるのではなく、番組とCMの切り替わり部分に設定される技術的な区切りだ。つまり、CM本編の内容自体に無音部分を含めることとは異なる。
ラジオCMでは2024年11月から新基準が導入され、CM素材本編の頭と最後にそれぞれ0.1秒以上0.5秒以下の無音部分を設定することが義務化された。これは、CMとCMの区切りを明確にして聴きやすさを向上させるための措置だ。
テレビやラジオの放送広告では、上記のような無音の設定が技術基準として存在するが、これらは素材の前後に付加される区切りのための無音であり、CM本編の表現として意図的に無音を用いることとは性質が異なる。CM中に無音を入れることを排除する規定はないが、これは放送局の考査で受け入れられない可能性がある。
YouTube広告での無音の表現は、革新ではない。Instagramなどでは、普通は音は再生されない。無音に慣れているということも悪るのだろう。だが、これまでの広告は全てアテンションをどう取るかが勝負だった。
しかし無音広告が増えるということは、アテンションの奪い合いから、アテンションの引き寄せへ焦点が移っているということなのだろう。ただし、この手法は、ほとんどが無音でない広告だから成立する。その意味で、無音広告が一般化することはないだろう。
