広告が邪魔者なのは疑いもない。授業でも学生に聞くが、好きだと答える人はいない。
テレビ番組や TouTubeのいいところで割り込んでくるCM。記事を読もうとすると画面を覆うバナー。動画の冒頭で強制的に流れる広告。時間と集中を奪う存在が広告だ。
そして、デジタル化が進むにつれ、その割り込み感は限界を迎えた。ポップアップ、オーバーレイ、スキップできない動画。広告は増殖し、嫌悪感だけが積み上がってきた。40年以上広告業界に身を置いてきた身でも、これを目の当たりにしながら、どこか居心地の悪さを感じていた。
そこで登場したのが、広告なしを売りにするビジネスモデルだ。
YouTube、NetflixやSpotifyの有料プラン、広告の出ないスマホゲーム、月額課金のAIサービス。広告を見ないためにお金を払うようになった。正確に言えば、広告を排除することで得られる快適さや集中を買っている。広告という無駄な時間と注意散漫を排除することが、商品価値を生む時代になった。
ところが、である。
2024年頃から、状況は再び変わり始めた。Netflixは広告付きプランを導入し、Amazon Prime Videoも追随した。月額料金を安くする代わりに、広告を見てもらう。かつて否定したはずのモデルへの回帰だ。さらにChatGPTをはじめとするAIサービスも、広告表示を検討していると報じられている。
これは単なる後退なのだろうか。それとも、新しい段階への移行なのか。
これは、広告の再発明かもしれない。かつての広告が嫌われたのは、その割り込み方にあった。文脈を無視し、タイミングを選ばず、ただ目立つことだけを追求した。しかし今回戻ってくる広告は、少し違うらしい。
NetflixやAmazon Primeの広告は、番組の自然な区切りに挟まれると謳っている。従来のテレビCMに近いが、視聴データに基づいてパーソナライズされているという。AIが広告を表示するとしても、おそらく対話の流れを壊さない形で、ユーザーの関心に沿った情報として提示されるだろう。広告は、邪魔から提案へと、その性質を変えようとしている。しかも、Netflixは、ユーザーの属性に合わせてAIで広告を自動生成することを計画している。
広告は消えたのではなく、形を変えた
たとえばゲームの世界を見てみると、そのビジネスモデルも変わって来た。露骨な広告動画は減ったが、その代わりに魅力的なキャラクター衣装や限定アイテムが登場するらしい。課金を促す導線は、ゲームの世界観の一部として自然に埋め込まれているようだ。もはやそれは、広告というより、体験と言える。プレイヤーは広告を見せられているのではなく、欲しいものを発見している感覚を持つように設計され始めていると記事で読んだ。ゲームを全くしないから分からないのだが。
サブスク型サービスでも同じことが起きている。特定の作品が前面に押し出され、特定のジャンルがおすすめとして並ぶ。そこには明確な意図があるが、ユーザーはそれを広告とは感じない。あくまで編集や提案として受け取る。ホーム画面に並ぶサムネイルは、かつてのバナー広告と本質的には変わらないのに、体験としてはまったく別物に見える。
そして今、従来型の広告すら、この文脈の中で再定義されようとしている。NetflixやAmazon Primeが広告を再導入したのは、単に収益が必要だからではない。むしろ、広告が体験の一部として許容される形を発見したからだという。視聴者は広告の存在を受け入れる代わりに、より手頃な価格でサービスを利用できる。選択肢が増えたとも言える。
AIによって、この傾向はさらに複雑になる。
AIは商品やサービスを直接売り込まない。代わりに、「あなたにはこれが合いそうです」と静かに差し出す。そこに押し付けがましさはない。むしろ親切だ。だが、その提案がどこから来ているのか、どんな基準で選ばれているのかを、私たちは深く考えない。AIの中立性を信じているからだ。
もしAIが広告を表示し始めたとき、それは従来の広告とは異なる体験になるだろう。対話の途中に邪魔に挟まれるのではなく、関連情報として提示される。ユーザーが求めている答えの延長線上に、商品やサービスが置かれる。広告であることを明示しながらも、それが自然な情報の流れの一部に見える。そんな設計になってゆくのだろう。
こうして広告は、見せるものから組み込まれるものへと変わる。UIの一部として、体験設計の一部として、判断プロセスの途中に溶け込む。だから邪魔に感じない。気づいたときには、もう受け入れている。これは、ある意味では危険なことのようにも思われる。
広告はAI時代においては、表現の問題ではなく設計の問題になって来る。どんな言葉で訴えるかではなく、どのタイミングで、どの文脈に、どの選択肢として置くか。収益モデルそのものが広告化していると言ってもいい。
これは必ずしも悪い変化ではないかもしれない。快適さが増し、ストレスは減る。ユーザーは、明らかに以前より豊かな体験を手に入れることができる。そして、広告付きプランの登場で、経済的な選択肢も広がった。
だが同時に、消費者は影響を受けていることに気づきにくくなって来る。広告が見えなくなるほど、その影響は深くなるだろう。透明性が失われるほど、選択は無意識のうちに誘導されやすくなる。知らない間に、広告が刷り込まれてゆく。これは、見えない、除魔にならない広告だからだ。これは危険だ。
だから、広告を拒絶するのではなく、そのビジネスモデルに、どんな形で広告が組み込まれているのかを知ることが大事だ。気づいているだけで、主体的になれる。サブスクを契約するとき、ゲームでアイテムを購入するとき、AIのおすすめを受け入れる時は、少しだけ立ち止まってみる。なぜ買うのかを自分に問いかけた方が良い。そうでないと、知らない間にAIによる誘導に動かされているかもしれないからだ。
