AIに聞いて買う時代

by Shogo

最近も書いた覚えがあるが、買い物の前にGoogle検索をしていない。特に基本的な知識がない分野の商品では特にそうだ。かつては「商品名+口コミ」「比較+おすすめ」と入力し、レビューサイトを確認するのが当たり前だった。だが、今は違う。AIに聞く。「この条件なら、どれが良い?評判は?」そして、返ってくる答えを眺め、ほぼそのまま信用して買うことが多い。

検索しない。比較しない。レビューも深追いしない。それでも、買い物は成立している。むしろ以前よりスムーズだ。今は、意思決定の入り口そのものが変化している最中だ。

かつて購買の起点は検索エンジンだった。だからこそ、企業は、リスティング広告を出し、SEOを磨き、レビューサイトに広告を出し、比較ページの上位表示にエネルギーを注いだ。消費者はその情報の海を泳ぎ、疑い、時に疲れながら「自分で調べた」という達成感を手にしていた。

ところが今、そのプロセスが一気に短絡化している。AIに聞けば要点は数行でまとまる。長いレビューを読む必要も、怪しいランキングを見抜く努力もいらない。私たちは情報探索の面倒さを、AIに外注した。

この変化は、単なる時短には止まらない。調べるという行為が消えると、広告の役割が根底から変わる。検索結果の上に並んでいたリスティング広告、比較サイトに埋め込まれた誘導、アフィリエイトリンクなどの広告らしい広告は消えてゆくかもしれない。

広告は消滅するのか。そうではない。広告が消滅する訳ではない。居場所を変えるだけだ。

AIに質問を投げるとき、私たちはすでに選択肢の絞り込みをAIに委ねている。「この条件なら、どれがいい?」という一文には、価格、用途、価値観まで含まれている。AIは、それを解釈し、それまでの履歴を勘案して妥当な答えを出す。そこに強い説得はない。だから疑いもしない。それは、意思決定の外注の結果だ。

ここで起きているのは、広告の不可視化だ。商品の情報が、おすすめとして現れたとき、それが広告なのか単なる提案なのか、区別することもできなくなっている。むしろ区別する必要すらないのかもしれない。それは、他の文書作成などでAIを使って便利さに慣れ始めているからだ。だから、その便利さが、買い物の判断を包み込んでしまう。

この変化は、一般的には歓迎すべきものでもある。検索疲れは減り、時間は浮く。比較のストレスもない。AIは文句も言わず深夜でも付き合ってくれる。合理的だし、親切だ。だからこそ、その裏側を考えなくなる。

だが視点を少し引いて考えみると、検索の時代、広告の価値は、目立つことだった。AIの時代は、価値は選択肢に入ることになった。認知を取って目立つことではない。検索の上位表示ではなく、AIが決める候補リストに含まれることだ。スペック比較表に載るのではなく、最初から外されないこと。つまり、広告は表現競争から設計競争へと移行している。

いま起きているのは広告の終焉ではない。広告の主戦場が検索結果から、AIのブラックボックスへ移ったのだ。広告は目に見える場所から消え、AIの判断プロセスの内部に隠れた。

この構造が進めば、AI自身が広告をどう扱うかという問題も避けられないだろう。AIが中立を保つのか、広告を含んだ提案をするのか。その境界線は消費者には見えない。それは、AI開発会社のアルゴリズムで決まる。

買い物だけではないが、様々な判断をAIに外注しないことを、まず肝に刻むべきだろう。AIに依存して、考えなくて済む便利さの中に判断を預けているという自覚を持つことだ。まずは、AIを疑うことだ。と言っても、次に何かの買い物をする時には、AIに聞くのは間違いがない。だが、鵜呑みにしないで、そのお勧めを、検索して確認してみようと思う。

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