トランプ大統領の意向を受けて、ケネディセンター理事会が、ケネディセンターの名称を「ドナルド・J・トランプ&ジョン・F・ケネディ芸術センター」に変更した。最初は冗談かと思っていたが実現してしまった。そして、24時間以内に作業員が建物のファサードに新しい名前を刻み、公式ウェブサイトも更新された。だが、ドメイン名だけは変わらなかった。
「trumpkennedycenter.org」も「trumpkennedycenter.com」も、すでに誰かの手に渡っていたからだ。
所有者は、『サウスパーク』や『マッドTV』の脚本家トビー・モートン。彼は趣味で、政治的な風刺を目的とした「公式っぽいドメイン」を50以上も保有しているそうだ。トランプ大統領が、以前の理事会を解任した時点で、彼はこう予測したという。「ああ、あの建物には必ずトランプの名前がつく」と。モートンの予見は的中した。現実世界では大統領の名が刻まれたが、デジタル空間ではコメディ作家がその「名前」を握っている。
現実よりも先に動くネットの「実体」
この逆説的な状況が示唆しているのは、もはやネット空間が現実を映す鏡ではなく、むしろ現実を規定する「実体」になりつつあるということだ。建物の名前は物理的に変えられても、ドメインという、名前の権利は先に取得した者が支配する。そしてその権利は、物理的な看板よりも強固で、取り消しがたい。
実際、現代のブランド戦略において、ドメイン取得は商標登録と同等か、それ以上に重要視されている。新製品の発表前にドメインを押さえられれば、企業はそのブランドネームの使用を断念せざるを得ないケースは普通だ。つまり、ネット上の名前が現実のプロダクトの存在を左右する時代なのだ。
もう一つ興味深いのは、モートンがドメインを取得したにもかかわらず、まだ何もコンテンツを公開していない点だ。読んだ記事の中で、彼は、「風刺するのが難しい」と語っていた。現実があまりに荒唐無稽すぎて、パロディが追いつかないのだと。ここにも逆転がある。かつて風刺は現実を誇張することで笑いを生んだが、今では現実そのものが誇張されすぎていて、風刺の余地がない。「皇帝的大統領」と評されているトランプ大統領の存在は、風刺作家の想像力さえ超えているということだろう。
ネットが「主」となる存在たち
この現象は、ケネディセンターだけの話ではない。現代のインフルエンサーの多くは、もはやネット上の存在が「本体」で、リアルな姿は副次的なものになっている。たとえば、バーチャルYouTuberは物理的な身体を持たないにもかかわらず、数百万人のフォロワーを抱え、企業とのコラボレーションで実際の経済を動かす。彼らの「実在」は、ネット空間にしかない。
政治家も同様だ。トランプ大統領自身、Truth Socialでの発言が政策を動かし、株価を揺さぶり、外交関係に影響を与える。物理的に大統領執務室にいる時間よりも、デジタル空間で発信している時間の方が、おそらく社会への影響力は大きい。彼のリアリティは、むしろスマホの画面の中にある。
さらに言えば、企業のブランド価値も同じ構造を持つ。NIKEやAppleといったグローバル企業は、実店舗よりもオンラインでの「ブランド体験」に膨大な投資をしている。消費者が最初に出会うのは、物理的な商品ではなく、インスタグラムの広告やウェブサイトのデザインだ。つまり、ネット上のブランドイメージこそが、実体で、店舗や商品は、その実体を確認するための二次的な存在になりつつある。
戦争も、ネットで始まる時代
この逆転現象は、より深刻な領域にも及んでいる。現代の戦争や紛争は、物理的な攻撃の前に、情報戦やサイバー攻撃から始まることが多い。ロシアによるウクライナ侵攻でも、最初に狙われたのは通信インフラやSNSのナラティブだった。ドローン映像がリアルタイムで拡散され、世界中の人々がスマホで「戦場」を目撃する。
ここでも、ネット上の情報が実体となり、物理的な戦場はその延長線上にあるように見える。かつて戦争は領土の奪い合いだったが、今では、ナラティブの奪い合いが先行する。どちらが正義か、どちらが被害者か。その物語を支配した方が、国際世論を味方につけ、実際の戦闘でも優位に立つ。
名前を持つ者が、世界を支配する
ケネディセンターの一件が教えてくれるのは、現代社会では、名前を持つことの意味が変わったということだ。物理的な建物に名前を刻んでも、ドメインを持たなければ、その名前は完全には機能しない。逆に言えば、ドメインを持つ者が、その名前の、本当の所有者なのかもしれない。
気候変動の議論も似た構造を持つ。科学的なデータや研究論文がネット上で拡散され、それが政策を動かす。だが同時に、陰謀論やフェイクニュースも同じ速度で広がり、現実の気候よりも、ネット上の気候論争の方が、人々の行動に直接的な影響を与えているかもしれない。
トビー・モートンは、風刺のつもりでドメインを取得した。だが彼が手にしたのは、単なるジョークの材料ではなく、トランプ政権が変えられない、もう一つの現実だった。建物の看板は塗り替えられても、ネット上の名前は彼のものだ。そしてその名前こそが、多くの人々にとっての入り口になる。
この現象をどう解釈すべきだろうか。一つの見方は、ネットが現実を上書きしているということだ。物理空間での変化は、デジタル空間での承認を得なければ、完全には機能しない。もう一つの見方は、もともと実体など存在せず、名前や記号が現実を作り出しているということだ。そうだとすれば、ドメインを持つ者こそが、現実を定義する権力を持っている。
いずれにせよ、トランプとケネディセンターの物語は、問いかけている。現実とは何か。名前とは何か。そして、誰がその「実体」を支配しているのかと。
