劣化が進む

by Shogo

新年早々、駅のホームで転んだ。電車を降りた瞬間、足元に残っていた雪に気づかず、そのまま体が宙を舞った。街中にはほとんど雪がなく、線路もホームも概ね乾いていた。だが、車両のドアを出た足元、ホームのその狭い場所だけに雪が残っていたのだ。体がホームに転がった時、私はただ呆然としていた。滑って転ぶなど、生まれて初めての経験だった。

この出来事は、二つの未来を突きつけてきた。一つは少子化によるインフラの劣化。もう一つは、私自身の老齢化である。

大学のある駅は広島市の端にある。かつては駅員が常駐し、窓口もあった。今は無人駅だ。誰も見守る者はいない。駅員がいれば、ホームの清掃も行き届いていたかもしれない。だが、JRにはもはやそのような体力は残されていないのだろう。人口減少が進む地域では、こうした見えないサービスから順番に削られていく。それが現実だ。

維持できないインフラの臨界点

日本各地で似たような光景が広がっていることは度々報じられてきた。地方の橋梁やトンネルは老朽化し、点検すらままならない。水道管の破裂は日常茶飯事になりつつあり、修繕の人手も予算も足りない。今後は、インフラを維持管理する技術者も予算も、確実に不足していく。

無人駅の増加も同じ構図だ。JR北海道では、すでに約半数の駅が無人化されている。利用者が少なく、採算が取れないからだ。駅員がいなければ、清掃も点検も後回しになる。雪が残ったままのホームは、その象徴に過ぎない。

インフラの維持には臨界点がある。一定の人口と予算を下回ると、システム全体が維持できなくなる。日本は今、その臨界点に近づいているのかもしれない。

老いという個人的な劣化

だが、私が感じたのはそれだけではなかった。もう少し若ければ、滑らずに済んだのではないか。いや、そもそも足元に注意を払えていれば、転ばずに済んだのではないか。老齢に入った今、そうした可能性すら考慮して生きていかなければならないのだと、改めて思い知らされた。

滑って転ぶなど、この歳になるまで一度もなかった。だが、これからは違う。体はさまざまな形で応答を変えていく。反射神経は鈍り、バランス感覚も衰える。視力も聴力も、確実に低下していく。

今回は、まだ幸運だった。打撲だけで済んだ。だが、次はどうだろう。雪の残ったホームだけでなく、段差や階段、濡れた床、あらゆる場所が潜在的なリスクになる。かつては何でもなかった日常が、少しずつ脅威に変わっていく。

二つの劣化が重なる時

社会のインフラと個人の身体。この二つの劣化が重なる時、何が起こるのだろうか。清掃されないホームで転び、救急車を呼んでも到着が遅れ、病院に運ばれても医師が不足している。そんな未来が、決して絵空事ではなくなってきている。

どちらにせよ、明るい未来が待っているとは思えない。駅のホームに転がりながら、私はそう感じた。社会が老い、私も老いる。二つの老いが交差する地点で、私は何を見ることになるのだろう。

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