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昔読んだ言葉に「人は二度死ぬ」というのがあった。一度目は、その肉体が滅んだ時、二度目は、その人を覚えている人が完全にいなくなった時。そう思えば、一度目の死はそう悲しいことでもないような気もする。自分か生きていくことで、その人も生きていくからだ。
とは言いつつも、ふとしたことで声を聞きたくなったり、話をしたくなったりする。それはもう永遠にできないことだと知っているのに、そのことを忘れてしまう。
古来より死者と話をする商売があったり、死者を蘇らせるストーリーの小説や映画が多いことからも、それは究極の人間の願いだということが分かる。できないと頭では分かっていても一縷の望みを託すのだろう。
死というのは人間にとって乗り越えられない淵のようなものだ。人間にとってではなく生物すべてにとってもだが、 その先は誰も知らない。すべての宗教はこの一点から生まれたと思っている。死の恐怖とその先の不安感のためだ。死後に天国があったり、極楽浄土があったりするほうが精神安定には良いだろう。各々の宗教には教義に違いはあるのだが、その目的は上記のようなことで同じ人間の必要から生まれている。
その点、「人は二度死ぬ」を言った人は、誰かはしらないが、天国も極楽浄土も信じてはいない。人間の精神とか生きることが人生であって、どのように生きてどのように記憶されるかが重要だと言っているように思う。 その先には天国も極楽浄土もないことを言っている。でも、どのように生きてどのように記憶されるか、とても難しいことだな。