区切りのある文章

by Shogo

3月の行事出席強化月間はまだ続いている。人事異動や組織変更は4月が多いから、一年では3月に集中する。それに伴う行事が多いのだ。

行事とは儀式だから儀式につきものの演出があり、退屈で寝そうになったり身が引き締まって感じたりする。先週は出演があったが、他は参観者としての参加なので寝ていても良いのだが、演出の途中でいろいろ思い出すことがある。

先日のお別れの式で思ったが、私たちは形だけの儀式だと思っていることでも、自分の気持ちを整理したり覚悟したりして、生きることを受け入れていく意味があるようだ。だから誰かの形だけと思われるような挨拶を聞いていても、そこにどんな意味を見出すかは当人次第だ。

句読点を抜いた文章の朗読を聞いたことがあるが、何を言っているかまったく分からなかった。句読点は、文章の内容を理解する上で重要だ。無用の用という言葉があるが、句読点も無用の用のように大きな意味がある。その意味で、儀式も重要な意味がある。

花粉症と疲れのために夕方出かけるまでは、今日はゆっくりと何もしない句読点にする予定。

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