ネットワーク

by Shogo

最近読んだ本で印象に残っているのは、チャーチルの葬儀をTimeだかLifeが取材した話。どの本だったか分からなくなってしまったが、調べるのは面倒なので出典は割愛。ともかく、そのロンドンでの葬儀の取材に旅客機をチャーターして飛行機の中に現像や暗室の設備を作って、ロンドンで取材が終ったらすぐに飛行機でシカゴに向かい、その帰路にフィルム現像・引き伸しを行って、記事を作って、シカゴに到着後に、そのまま印刷工場に原稿を持ち込んだという話だった。

チャーチルの葬儀は1965年のことなので、東京オリンピックの翌年だし、アポロの月着陸の4年前のことだ。この時代には、まだ写真は紙などの画像を焼き付けた現物を送るより方法が無かった。このことを今考えると大昔に思える。

写真のデジタル化の前にFAXの時代があったが、その普及が始まったのは1970年代後半で新聞社などでも実用化したのは80年代に入ってからのようだ。大学の同級生などで商社に就職した友人などもまだ紙のテレックスを使っていると言っていたことを思い出す。因みにFAXが一般まで普及したのは日本で、アメリカなどではさらに遅れていた。

写メールとかデジタル画像をネットワークで自由に送れる今から考えると想像も難しい話だが、これで連想するのは「2001年宇宙の旅」のコンピュータのHALのことだ。

非常に高度な人工知能のHALはネットワークの機能は持っていなかった。もっとも持っていれば、地球からコントロールされて反乱を起こすこともなく話が変わってしまう。それはさておき、未来の技術を推測するのに長けていたアーサー・C・クラークですらネットワーク社会はあまり考えていなかったのかもしれない。

インターネットの原型のARPANETは1965年頃から、軍事目的で研究が始まったようなので 、1968年に公開された「2001年宇宙の旅」の製作段階では、インターネットのようなネットワークという概念はまだ一部の学者や研究者の研究テーマだったということかもしれない。それに、1990年代にモザイクなどのブラウザ・ソフトが出て一般化が進んで使う人が増えたので初めてネットワークの意味が出てきたということもできる。

イーサネットを発明したメトカーフが言ったのは、ネットワークの価値は利用者の数の二乗に比例するだから、学者や軍の関係者だけが使っていた時代にはネットワークとしては無価値だった。それが、ゴーファーやモザイクなどの一般用のソフトが流通して初めて価値が生まれたのだろう。それが、すべての始まりでネットワーク社会が到来した。たかだか20年のことだ。

そして、すでに20世紀末期には写真がデジタル化されネットワークで共有されるのが当たり前になっているし、少し前までは構想されても現実化できなかった音楽のダウンロードや本のダウンロードが当たり前になり、あまり考えなかった友達づきあいも、BBS、ブログ、Twitter, facebookのようなSNSを通じてネットワーク化が完了している。数年前のエイプリル・フールで見たジョークのハードウエアのダウンロードサービスまで実用化されそうな勢いだ(それは無いか!)

今朝の新聞で見たが、大手出版社三社が新書は電子版でも発売すると決めたようだ。数年前からKindleなどが普及しているアメリカでは、すでに彼らの言葉では「死んだ木」版より電子版のほうが売れている場合があるし、新書に限られている訳ではない。

逆にネットワーク化できないものは何だろうと考えると、あまり無いのに気がつく。大抵のことはネットワークを要素として組み込んでしまうことはできそうだ。ともかくネットワークはすべてを繋げてコミュニケーションはもちろん、ビジネスや社会のありかたを変えていく。それが、次の20年にはどうなっているか分からないし、個人的には関係ないかも知れない。便利なものは使っても、紙の写真を飛行機で持っていく時代の方が自分には合っている気がしている。

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