非日常の日常

by Shogo

被災地では救援物資が届かず、政府の対応を避難する声がたかまっているそうだ。多分、政府は原発の問題で手一杯なのかも知れない。首相は一人でも組織があるのだから原発対策と救助、避難者のケアを同時にやってもらいたいものだ。

東京ではどこへ行っても一部の食料や紙製品がない。配送の問題や被災地を優先ということもあるかも知れないが、急に需要が増えることはないので買い占めによるものだろう。一人一人のモラルが試される。が、しかし我が家も備蓄しているわけではないので、そろそろ買う物が出てくる。

会社に毎日行って同じように暮らしているが、原発の事故が最悪の事態にならないかという不安が常にある。チェリノブイリ級の事故でも250km離れている東京では大きな影響はないという人と、あると言う人がいるので混乱する。調べたり信頼できる説明では健康に大きな影響がでないということは頭では理解できるが、やはり恐怖を感じる。

昨日も子供を連れて関西方面へ避難する人やフランス人の国外退去ののニュースが流れたり、今朝はアメリカ政府が80km圏からアメリカ人に勧告したという情報があった。事態は大きく悪化していないのか、しているのか、本当のところは私たちには分からない。

しかも毎日大きく揺れる。余震が何度も続いている。もはや揺れているのか気のせいか良く分からなくなってきた。長野、静岡と東京を囲むように地震が発生している。次は東京直下型かという恐怖を感じる。

もはや1週間前の普通の日常は帰ってこない。被災地では今の非日常がこれから何年も日常生活になってしまった。東京に住む私ももはや「普通の」日常は帰ってこない。その意味では、今までが「普通の」日常 というフィクションを自分に信じさせてきただけなのかも知れない。そもそも日常という物は私たちに無かったのだろう。原発事故の恐怖が仮に終っても(早く終って欲しい)もはや日常は帰ってこない。

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