誤用の効用

by Shogo

ダーウィンの「種の起源」には、「変化するものが生き残る」という有名な一節があると、多くの人が信じている。だが実のところ、そのような文言はどこにも書かれていないとどこかで読んだ。もちろん、自分では「種の起源」を読んだことはない。

「変化するものが生き残る」は、企業の研修や自己啓発のセミナーで、変化に対応することの重要性を説く金言として、幾度となく引用されてきた。この言葉に奮い立ち、自らの変革を誓った人も少なくないだろう。

ダーウィンが述べたのは、変化そのものを讃える言葉ではなく、変化のうち「環境に適したものが生き残る」という冷徹な観察だった。彼の関心は努力や向上心ではなく、偶然と淘汰の作用という自然界の歴史にあった。

しかし、私たちはこの誤解に救われてもいる。「変化するものが生き残る」と解釈することで、人は自らを磨き、組織は変革を恐れず、社会は進歩を志すようになった。意味がねじれ、誤用が定着することで、言葉は新しい命を得る。これが「誤用の効用」だ。だから、誰がこの誤用を始めたのかについて関心がある。

似たような例はたくさんある。ビジネスの世界では、スローガンの再解釈が日常的に行われる。「顧客第一主義」もその一つだ。ドラッカーが語った「顧客の創造」は、企業活動の目的を顧客理解に置くという経営哲学だったが、日本では「とにかく顧客の言うことを聞く」姿勢として定着した。原義から見れば誤用だが、この精神が戦後日本のサービス文化を形づくったのも事実だ。言葉は誤って理解されたことで、職業倫理を醸成した。

また、「一期一会」も変化を遂げている。もともとは千利休の茶の湯における心得であり、同じ客と同じ場を共有するのは一度だけという慎みの教えだった。それが現代では「出会いを大切に」という温かいメッセージに読み替えられている。誤用のようでいて、人と人が希薄になりがちな時代において、この新しい解釈は人間関係を重視する心構えとして生き続けている。

誤用は、意味を歪ませると同時に、言葉を拡張する。厳密な学問の文脈では誤りかもしれないが、社会の文脈では柔らかな再生産の力を持つ。言葉は、正確さよりも共感によって生き延びるのだ。ダーウィン的に言えば、「適応する意味が生き残る」のである。

さらに現代社会では、SNSが誤用の拡散装置となっている。たとえば「エモい」は、本来「emotion(感情的)」から派生したスラングだったが、いまや「懐かしさ」から「美しさ」までを包摂する万能語になった。意味があいまいだからこそ、時代の感性に寄り添える。誤用が、現代の共感言語を生んでいる。

教育の場でも、「失敗は成功のもと」という諺が再解釈されている。本来は「過ちを反省し改めることが成功へ導く」という教訓だったが、今では「失敗しても気にするな、トライし続けろ」という挑戦の励ましの言葉として使われる。これも誤用といえば誤用だが、若者を前向きにする力を持っている。誤用は時に、望ましい価値観を支えるになる。

これらの事例が示すのは、言葉や物語の意味は、発信者が意図した文脈だけで完結するものではない、ということだ。受け手によって再解釈され、時には本来の意味とは全く異なる価値を付与されながら、社会の中を生き続けていく。その過程で生まれる「誤用」は、単なる知識の欠如としてではなく、文化のダイナミズムや創造性の一端として捉えることができる。

もちろん、あらゆる誤用を肯定するわけではない。誤解が差別や偏見を生み、深刻な事態を引き起こすことも多々ある。本来の意味や背景を知る努力は、常に怠ってはならない。しかし、その上で、なぜその「誤用」が生まれ、多くの人々に受け入れられたのかを考えてみる。そこには、時代が求める価値観や、人々が言葉に託したいと願う希望が映し出されているのではないだろうか。

この「誤用の効用」という視点は、現代のマーケティングにも示唆を与える。製品やサービスの価値は、開発者が意図した機能的価値だけで決まるのではない。消費者がそれをどう解釈し、自身の生活の中でどのような物語を紡ぎ出すかという「解釈価値」が、ブランドへの共感や愛着を育む上で極めて重要になる。ダーウィンの言葉が自己啓発の強力なメッセージになったように、企業が発信したメッセージも、受け手の創造的な「誤用」によって、想定を超えた価値を持つことがある。作り手が価値を一方的に定義するのではなく、受け手との間に生まれる「意味の共創」にこそ、これからのコミュニケーションの可能性がある。

言葉は生き物だ。時に誤解され、文脈を離れて旅をする。しかし、その旅の途中で、誰かの心を動かし、新たな価値を生み出すことがある。

正確であることは重要だ。しかし、意味を生むのはいつも「ずれ」や「誤解」の中にある。

誤用とは、人間が言葉とともに成長しようとする、その不完全な努力の証なのだ。ダーウィンの「誤用された」言葉が、今もなお私たちの背中を押し続けているように。

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