朝と昼はYouTube、夜はNetflix

by Shogo

朝の日課は、YouTubeのホーム画面のおすすめを見ながら身の回りのことを済ます。別に何か特定の動画を見たいわけではない。これが習慣化している。昔ならテレビだろうが、テレビのある東京の自宅でも同じだ。このような生活習慣がアメリカでも一般化してるという記事がNYTに出ていた。

その記事中のニールセンのデータによると、2025年11月時点でアメリカのテレビ視聴におけるYouTubeのシェアは12.9%でトップとなっている。次いでDisneyが10.5%、そしてNetflixが8.3%という並びだ。興味深かったのは、この優位性が時間帯によって大きく変動する点だ。

午前11時の時点で、YouTubeの平均視聴者数は630万人。対してNetflixは280万人、Amazonは約100万人に過ぎない。HBO MaxやParamount+、Peacockといったサービスは60万人未満だ。YouTubeは日中を通じて圧倒的な支配力を持ち続けるが、夜9時になると状況が変わる。Netflixの視聴者数は1100万人超まで膨れ上がり、YouTubeの1200万人に迫る。Amazon、Disney、HBO Maxも夜間にはYouTubeとの差を縮めてくる。

つまりYouTubeは昼間の王者だ。そして深夜から翌朝にかけて、再びその支配が始まる。

日本の状況を調べてみると、似たような傾向だ。REVISIOの「コネクテッドTV白書2025」によれば、CTV視聴世帯での1日あたり平均視聴時間はYouTubeが60.1分で1位となっている。Amazon Prime Videoは17.0分と報告されており、テレビ東京の14.9分を上回る。つまり、テレビでいちばん長く見られているのがYouTube、ということが日本でも起こっている。

また、公正取引委員会の報告書では、若年層を中心にテレビ放送の視聴時間が減る一方、オンデマンド型動画配信サービスの利用率が2019年度17.4%→2020年度46.3%→2021年度52.0%→2022年度52.1%と急伸したことが示されている。さらに2022年度には、10代・20代でネット系動画の平均利用時間(104.7分・119.6分)がテレビ系動画の平均視聴時間(52.9分・82.1分)を上回ったという記述もある。

分断される「視聴時間」のスタイル

なぜ昼間にYouTubeなのかということが、NYTのポイントだ。記事で紹介されていたテキサス州に住む57歳の女性は「YouTubeの即時性がすべてを変えた」と語る。「欲しいものが何でも一箇所にある。もうチャンネルを切り替える必要はない」

この言葉には、メディア環境の本質的な変化が凝縮されているようだ。かつて昼間のテレビといえば、トークショー、メロドラマ、料理番組、軽い娯楽番組だった。視聴者はテレビを真剣に見つめるのではなく、洗濯物をたたんだり、請求書を処理したり、部屋を片付けたりしながら、テレビをBGMとして流していた。知人が、テレビは家庭の友人で、親友ではなく一緒にいて楽しい人と評した。つまり、居なくても良いが、居ないと寂しいということだ。

YouTubeは、まさにこのような役割を引き継いでいるのかもしれない。視聴者行動を分析するTVisionの調査によれば、YouTube視聴時の注意力スコアは他のプレミアムストリーミングアプリと比べて著しく低いという結果になっている。つまり多くの人々は、音楽プレイリストや子供向けコンテンツ、あるいは何らかの背景音として、YouTubeをながら視聴しているということだ。

個人的にもそうだが、日本でも同様の傾向が見られる。日経クロストレンドの調査では、日本の視聴者はYouTubeを「作業用BGM」や「情報収集ツール」として活用しており、NetflixやAmazon Prime Videoのように、腰を据えて視聴するメディアとは異なる使われ方をしているそうだ。特に主婦層や在宅ワーカーの間で、家事や仕事の合間にYouTubeを流し続ける習慣が定着しつつあるという。

日米比較

アメリカと日本のYouTube視聴状況を比較すると、いくつかの共通点と相違点が浮かび上がる。

共通点としては、まず昼間のながら視聴が増加している点が挙げられる。両国とも、視聴者はYouTubeを背景音として、あるいは情報収集ツールとして活用している。また夜間にはNetflixなど他のストリーミングサービスに移行する傾向も共通している。さらにクリエイターたちが視聴者の生活リズムに合わせて投稿時間を最適化している点も同様だ。

一方で相違点も明確だ。アメリカではテレビ受像機でのYouTube視聴が主流だが、日本ではスマホやタブレットでの視聴がより一般的だ。これは通勤文化の違いや住宅事情の差が影響しているのかもしれない。

コンテンツの傾向にも差がある。アメリカではポッドキャストやトークショーの動画版が人気だが、日本ではVlogスタイルの日常系コンテンツや、解説・教育系動画がより好まれる傾向がある。これは文化的な差異、つまりメディア受容のスタイルや、情報消費の仕方の違いを反映しているのだろう。

メディアの未来

昼間、私たちは忙しい。家庭にいても家事をこなし、仕事をし、身体を動かし、食事を作る。そこで求められるのは、厳密な注意を必要としない、柔軟で多様なコンテンツだ。YouTubeの膨大なライブラリーと即時性は、この欲求に完璧に応えているのだろう。

しかし夜になると、私たちは、コンテンツに没入する時間を求める。複雑で注意を必要とするような物語、丁寧に作り込まれたドラマ、映画館の大画面で楽しむような体験。そこでNetflixなどが選ばれる。

この使い分けは、メディアが単なる情報伝達の道具ではなく、時間の質を規定するものになっていることを示している。YouTubeとNetflixは競合しているのではない。むしろ相補的な関係にあると思われる。それぞれが異なる時間帯、異なる気分、異なる目的に対応している。そして、YouTuneが巨大化すればするほど、ライブラリーが膨大になり、その性格が強まる。

今週発表された、2029年からYouTubeがアカデミー賞の独占配信権を獲得したというニュースは象徴的だ。かつてテレビが映画館から観客を奪い、ストリーミングがテレビから視聴者を奪ったように、今はYouTubeは既存のメディアエコシステム全体を再編成しつつある。

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