流行の寿命が、SNSで短くなっているという記事を読んだ。確かに、感覚的にも論理的にも納得できる話だ。
かつて半年から一年かけて社会に浸透していった流行やトレンドは、いまや数週間から三か月ほどでピークを迎え、そのまま静かに姿を消していくそうだ 。ただし、調べてみたが定性的な情報はあるが、これを裏付ける調査やデータはない。
ただ、SNS上の投稿数や検索データを調べた研究では、動きははっきりしている。急激に盛り上がり、同じ速度で引いていく。山は高いが、裾野がない。流行は始まったと思った瞬間に、もう終わりへ向かっているという。
これは、ファッションでは明確に表れているようだ。まず、タイムラインに同じ服、同じ色、同じシルエットが何度も流れてくる。新鮮なファッションが、数日後には見慣れ、「またか」と感じていることが多いという。つまり、街で見かける前に、画面の中で見尽くしてしまうことなのだろう。
SNS以前、流行には段階があった。雑誌で見かけ、ショップに並び、街に広がる。その過程には時間差があり、流行に追いつく余地が残されていた。以前のファッション業界は導入期と成長期は、それぞれ異なる速度で進んでいた。パリやミラノで発表されるハイファッションのトレンドが、すぐにボリュームゾーンの一般市場で流行したわけではない。
2010年代半ば以降、この構造は崩れた という。それは、InstagramやTikTokの普及だ。誰かの投稿が注目を集めた瞬間、アルゴリズムがそれを押し広げ、短期間のうちに無数の人の目に届けるようになる。導入期と成長期がほぼ同時に訪れる。
調査によれば、X(元Twitter)の投稿エンゲージメント半減時間はわずか約49分、TikTokに至っては0分。つまり瞬間的なバズりに集中する 。Instagramでさえ約19時間と、従来の流行サイクルとは比較にならない短さである 。あるアイテムが一人のインフルエンサーによって紹介されると、数時間後には数万のいいねがつき、翌日には類似の投稿が数百件現れる。一週間後には定番化したかのように見え、二週間後にはもう古いと感じられ始めるというスピードだ。
企業側も、この速度に対応せざるを得ない。ファストファッションの代表格ZARAは、デザインから店頭投入までを最短2週間で完結させる体制を構築した 。これはH&Mの3〜4週間よりも速く 、さらにオンライン専業ブランドのboohooは2週間、Missguidedに至ってはわずか1週間でデザインから販売までを完了させるという 。Sheinのようなビジネスモデルはさらに早い。このような企業が、流行の短命化に拍車をかける。
かつて数か月かけて社会に広がっていった流行が、いまは数日で知れ渡る。しかし、知れ渡ることと定着することは別だ。むしろ、知れ渡る速度が早すぎるがゆえに、定着する前に飽和してしまう。
拡散による急速な成長は、必然的に急速な飽和を招く。同じ画像、同じコーディネート、同じ言い回しが、タイムラインに繰り返し現れる。最初は、流行っていると感じたものが、やがて、ありふれているに変わり、最後にはもう見飽きたになる。
業界では、こうした短命な流行をマイクロトレンドと呼ぶそうだ 。数週間から数か月で終わる流行。SNS上では確かに盛り上がっているのに、街に定着する前に消えていく。育つ前に消費されてしまう流行だ。実体のない流行だ。
この現象の背景には、視覚的な飽和がある。Ellen MacArthur財団の報告によれば、洋服の着用回数は過去15年で36%も減少し、多くの洋服は捨てられるまでにわずか7〜10回しか着用されないという 。確かにファッションに興味のない筆者でも着ない洋服を大量に持っている。
SNS以前、人々は流行を断片的に目にしていた。雑誌で一度、店頭で数回、街で何度か。接触頻度には限りがあった。それが、流行のスピードを規定していた。
いまは違う。同じトレンドアイテムを、一日に何十回も目にする。朝のタイムライン、昼の投稿、夜のストーリーズ。角度を変え、場所を変え、着る人を変えながら、同じものが繰り返し流れてくる。視覚的な飽和が、心理的な陳腐化を加速させる 。Pontaリサーチの調査では、若者の5割超が流行の寿命を3か月以内と感じているそうだ 。これは、消費者側の体感が企業の生産サイクルと完全に同期している証拠だ。
ただ、これはファッションだけの話ではない。言葉、音楽、食べ物、観光地など、あらゆる流行を、同じ構造で動せている。
2020年代に入ると、その傾向はさらに顕著になった。TikTokで特定の楽曲が使われると、数日で何千万回も再生される 。導入期も成長期もないまま、いきなり成熟期に突入する。同時に、同じ音源を使った動画が大量に投稿され、一週間後には、聞き飽きた曲になっている。観光地も同じだ。誰かが美しい写真を投稿すると、数日のうちに同じ構図の写真が何百枚も投稿される。場所が持つ新鮮さは、画面の中で先に消費され尽くす。実際に訪れる頃には、すでに見たことがある風景になっている。
SNSは流行を生み出す場所であると同時に、流行を消費し尽くす場所でもある。誕生から最盛期、そして終わりまでを、一つの画面の中で見せてしまう。その結果、流行は、社会に広がる現象から、タイムライン上で消費される出来事へと姿を変えた。
SNSがもたらした拡散の加速は、もはや後戻りしない。導入と成長が圧縮され、飽和と陳腐化が急速に訪れる構造は、今後も続くだろう。その中で問われているのは、流行の速さではなく、流行との距離感なのかもしれない。何に近づき、何と距離を取るか。拡散に乗るか、あえて時差を持つか。その判断こそが、速すぎる世界を生きる知恵になる。もちろん、これは流行に敏感な若者の話であって、筆者のような老人には流行に縁がない。
