脳の外部委託

by Shogo

学生懸賞論文コンテストの審査員を頼まれて、いくつか論文を読んだ。気がついたのは、AIの回答によく含まれているアスタリスクのマークダウン形式の痕跡であったり、日本語の文章の中にハイフォンを2つ使うような表記方法だったりした。それに確信はないが、論文の中で明らかに語調が変わるところがあり、その部分はAIの出力ではないかと疑ったりもした。

ところが驚いたのは、他の審査員が読んだ論文は、1つは完全なAIの出力のコピーで、巻末に記載されている参考文献も全てハルシネーションだったと言うことだ。それほどではないにせよ、他にもたくさんAIの使用が求められているものがあった。

このようにAIの使用は既に学生の間でも一般化している。これは悪いことではなく、むしろ良いことだ。AIを使って自分の考えを拡張するのは重要なことだと思う。いわゆる「壁打ち」と言うやつだ。だがいけないのは、この学生の懸賞論文にあったような丸投げの完全コピーだ。これは、完全な思考停止ということになる。

だが、人間は楽をしたがるものである。AIの能力が高まるにつれ、ますます自分の脳の働きをAIに外部委託していくことになるのが自然だ。ここから何が起こるかについて、BBCの記事にいくつかの研究が言及されていた。

記事中のMITの研究によると、AI委託作業の最中、人間の脳は思考ネットワークの活動を減らすという。言葉を変えれば、AIが動くほど、私たちは少しずつ考えない方向に誘導されているようだ。

AIが答えを瞬時に出す世界では、どんな問いを立てるかという出発点そのものの価値が上がる。山口周さんがいつも言っているようなことだ。答えは限りなくコモディティ化して行く。カーネギーメロン大学とMicrosoftの共同研究によれば、AIへの信頼が高いほど、人は批判的思考を使う努力を減らす傾向があったという。問いを持たずにAIに委ねれば、応答は整っていっても、思考の能力は衰える。教育現場では、記事では、これを、認知萎縮(cognitive atrophy)と呼んで懸念している。

一方で、すべてが暗い話ではない。オックスフォード大学出版の調査では、九割の生徒が「AIによって少なくとも一つの学習スキルが向上した」と答えていると言う。AIが問いを奪うのではなく、問う視点を拡張する方向に使いこなせば、学びも仕事も豊かにできる。問題は、AIを答えの機械としてではなく、思考のパートナーとして扱えるかどうかにある。記事中で、OpenAIの教育責任者は、AIは「夜中の家庭教師」であって「代筆者」ではないと言っている。

マーケティングの世界でこの問題はさらに複雑になる。AIが瞬時にトレンドを要約し、ペルソナを仮想生成し、最適な広告コピーを提案してくれる状況が普通になった。だが、その便利さの裏で、クリエイターやプランナーの問いが平板化してはいないだろうか。「なぜ人はその商品を欲しがるのか」「どんな不安を抱えているのか」といった根本的な洞察の問いが、テンプレート的なプロンプトに置き換えられつつある。

購買行動は感情の連鎖でできている。もしAIが導き出す選択肢に無抵抗に従うなら、消費者は選んでいるようで、選ばれている状態に陥る。意思決定のプロセスが滑らかになるのは歓迎すべきことだが、思考と迷いを失った選択は、しばしば衝動的か無反省になる。マーケティングの心理学でいう認知的占有率(cognitive share)だ。

AIが強く支配すれば、商品選択という個人的な思考の場もまた、AIに外注されるのかもしれない。

マクルーハンは「メディアは人間の感覚器官の拡張」と述べ、車輪は足、書物は目、電気メディアは中枢神経系の延長と捉えた。AIも同様に、記憶や推論、表現を外部に委ねる拡張された脳と心の一部と言える。しかし、この心の拡張は認知の外部委託を促し、自ら考える力の萎縮という副作用も伴う。ワープロで漢字を忘れたり。エレベーターに頼っていたら足が衰えるのと同じだ。

とはいえ、AIは敵ではない。むしろ、私たちの知性をどう拡張するかを試す鏡や問いかけに反応する壁として働く。重要なのは、どんな問いを立てるAIユーザーであるかという点だ。論文執筆にせよ、マーケティング・アイディアの開発にせよ、AIの使い方が人間の脳を貧しくするか、豊かにするかは、問う力を手放すかどうかにかかっていると思う。

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