ロザリンド・フランクリンのこと

by Shogo

ジェームス・ワトソンが97歳で亡くなったというニュースが流れた。「まだ生きていたのか」と思った。1962年、ワトソンとフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見してノーベル生理学・医学賞を受けてから、すでに60年以上が経つ。彼らの名前は科学史の中で伝説になっている。しかし、その陰で、もう一人の名が静かに忘れられてきた。ロザリンド・フランクリンである。ジェームス・ワトソンが亡くなったという長い記事には、ロザリンド・フランクリンについての記述はなかった。

ワトソン・クリックとして知られるDNAの二重らせん構造を発見の影に、一人の女性科学者がいたことは最近まで、と言っても10年前までは全く知らなかった。

それを知ったのは、2015年にロンドンで観た舞台「Photograph 51」からだ。その時は、一人の出張で比較的長い間、ロンドンにいたから夜に舞台を見に出かけた。「Photograph 51」を見たのはのニコール・キッドマンが主演だったからだ。彼女が演じたロザリンド・フランクリンは、男性優位の科学界で孤独に研究を続け、誰よりも真実に近づきながら、その成果を横取りされた女性科学者だった。実験室での地道な作業、精密なデータ解析のすべてが、彼女の死後、ワトソン・クリックの栄光の踏み台にされた。

その舞台は、彼女こそが、この発見の真の立役者だったのではないかという視点で描かれていた。その舞台を見た後で、ロザリンド・フランクリンについて調べた。そして、多くの人が、彼女こそ、二重らせん構造を発見につながる重大な貢献をしたと評価していることを知った。

1962年のノーベル生理学・医学賞。ワトソンとフランシス・クリック、そしてモーリス・ウィルキンスの三人がこの栄誉に輝いた。しかし、その4年前の1958年、フランクリンはわずか37歳でこの世を去っていた。卵巣癌という病魔が、彼女から時間を奪った。

問題は、ノーベル賞が死者に与えられないという規則だけではない。真の不公平は、彼女の決定的な貢献が隠蔽された結果になっていることだ。それが、悪意のある意図だったのか、偶然なのかは知らない。しかし、彼女がX線結晶学で撮影した「Photograph 51」、DNAの鮮明なX線回折像の画像なくして、ワトソンとクリックの発見はありえなかったと多くの人が認めている。しかも、この写真は彼女の同僚ウィルキンスによって、彼女の許可なくワトソンに見せられたのだったと記録にある。

そこで思うのは、時間だ。長生きすることには、業績そのもの以上の意味がある。それは、歴史が自分を再評価するまで待つ権利を持つということだ。ワトソンには97年という時間があった。栄光を享受し、晩年には人種差別的発言で批判を浴びながらも、彼の名前は科学史に刻まれ続けた。語る機会があり、弁明する時間があり、そして何より、記憶され続ける時間があった。

一方、フランクリンには37年しかなかった。自らの研究を守る時間も、誤解を解く時間も、正当な評価を受ける時間も。時代が進み、女性科学者への理解が深まり、研究倫理が問われるようになった今こそ、彼女の再評価が必要だったのに、彼女自身はそれを見ることができない。

ワトソンの訃報記事には、DNA二重螺旋の発見、ノーベル賞、科学界への貢献などの業績が並ぶ中で、フランクリンの名前はどこにもなかった。まるで彼女は最初から存在しなかったかのように。

記憶は恐ろしいほど不公平だ。声の大きい者、長く生きた者、権力を持つ者の物語ばかりが語り継がれる。フランクリンの写真がなければ、DNAの構造解明は何年も遅れたかもしれない。彼女の厳密な実験技術と科学的洞察力こそが、この偉大な発見の基盤だったのに。

もし彼女があと30年、40年生きていたら。学会で発言し、後進を育て、自らの研究の意義を主張できたら。時代が変わり、女性科学者への評価が変わるのを目撃できたらと思う。

時間と評価は残酷なほどに結びついている。そして、どちらも生きている者に圧倒的に有利に働く。フランクリンの物語が教えてくれるのは、科学的真実と歴史的評価がいかに別物であるかということだ。

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