偉大な日本人

by Shogo

昨日は個人的に大きなニュースが2つあった。1つは大谷翔平の104年ぶりの記録、2桁勝利と2桁本塁打達成で、もう一つは三宅一生さんが亡くなった事だ。

大谷翔平の記録は、彼がエンジェルスに所属していなければもっと早く達成していただろう。このところ何度も足踏みをしていた。「なおエ」と言う言葉がある。「なお、エンゼルスは敗れた」というニュースがおおいことから、ネットで広まったものだ。それほど、大谷翔平が大活躍しても、エンジェルスは勝てないことの方が多い。このことは、アメリカでも話題になっていて、ニューヨークタイムスの記事などでも、大谷翔平やマイク・トラウトが大活躍した。だがエンジェルスが敗れたというパターンが多いと言うことを記事にしていた。アメリカ版「なおエ」だ。

残念ながら、他の有力のチームへのトレードがなかったので、来年いっぱいはエンジェルスに所属しなければいけないようだ。それでも来年の年俸の増加額はメジャーリーグの記録になると言うような記事も出ているので、まだまだこれからも活躍してくれる事は間違いない。

しかし、残念なことに、アメリカのメディアでは日本ほどこの104年ぶりの新記録の事は話題にはなっていない。そもそも常人離れした記録であることは間違いないし、ピッチャーとバッターを兼ねると言うような選手は他にはいない。そういうこともあり記録の感覚がないことが理由かもしれない。だが、やはり日本人メジャーリーガーと言うことが影響しているのだろう。これがアメリカ人であれば、メディアももっと大きな記事にしているはずだ。それでも、来年以降も大谷翔平は、もっと大きな記録を作って、アメリカのメディアも書かなければいけないことになるはずだ。

一方の三宅一生さんは8月5日に亡くなられていたそうだ。広島出身で被爆者である事はよく知られていた。広島に縁ができて、余計に身近な存在としてして感じられる。大学生の時に、川久保玲や山本耀司とともに日本人のデザイナーとして名前が知られていた。その3人の中では、イッセイ・ミヤケの服が好きで買っていた。他の2人のものは試したが毎日着るには適していなかった。イッセイ・ミヤケの服は、着ていて楽だし気持ちが良かった。当時は人気のあった西武百貨店の店で、何着も買った。教科書や参考書になる費用がイッセイ・ミヤケに化けていたわけだ。コートやシャツとパンツのスーツは特にお気に入りだった。

その頃のイッセイ・ミヤケの服には左胸に縦にスリットの入ったポケットが付いていた。それはセーターからコート、シャツに至るまで全てだ。なぜかそれが気にいっていた。ボタンもない縦のスリットはあまり実用性がないのだが、デザインとして気にいっていたと言うことだ。当時を着ていた服はもはや処分しているが、今でもカーディガンだけを持っている。当然、左胸に縦のスリットがはいっている。

なぜその当時3人のデザイナーに憧れたかは、まだバブル期以前の日本において、服のデザインと言う個人の才能だけで世界で活躍していたからだ。パリコレやニューヨークでの活躍は日本のメディアでも報道されていた。

今日ウィキペディアで三宅一生さんを調べてみると、三宅デザイン事務所の設立は1970年と言うことだ。大学生だった1970年代後半は、彼の活躍が始まってしばらくしてと言うことになる。

その後会社員になって、スーツを着て生活をするようになると、さすがにイッセイ・ミヤケの服を着ると言うわけにもいかず、コムデギャルソンやヨージ・ヤマモトのスーツを買ったこともあったが、イッセイ・ミヤケを買う事はなかった。大学生だったの時期だけ、体に合う楽な服を着ていたが、会社員になると社会規範であるスーツに体を縛られるようになっていたと言うことなのだろう。

亡くなられた三宅さんと今後の大活躍が期待される大谷翔平。どちらも日本とか海外とか関係なく活躍できる日本人だ。今後も彼らのような人が、たくさん日本から生まれること望む。

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