Vermeer’s Cameraをやっと読んだ。フェルメールの絵は、その色調、光の表現、精密さと曖昧さの融合などが、他のどの画家とは違っているために、カメラ・オブスキュラの使用が推測されてきている。ただ賛否両論で結論はでない問題ではある。なにせフェルメールに関する記録はあまり残っていないのだ。これは、当たり前と言えば当たり前で、日本でもフェルメールと同時代の江戸時代の初めに生きた人の詳細な記録などほとんど残されていないからだ。
著者のSteadmanさんによれば、カメラ・オブスキュラを使ったと考えられる理由はいくつかあり、それらの理由は以前より何人もの学者が唱えてきたものだ。彼の整理によれば、カメラ・オブスキュラを使った結果とされるフェルメールの絵の特徴は以下の通り。
1)レンズを通して見た時に起こるピンボケがあること、
2)広角レンズで起こる画面のゆがみが見られること(手前の人物がかなり大きく表現されることも含む)、
3)ハイライトの光が分解してハレーションのような光になっている、
4)全体的にぼんやりとした色味で柔らかい感じになっていること
それに対する反論はいくつかあるが、一番大きいのはフェルメールが死んだ時の遺産目録が残されていて、家具や絵はもちろん衣類に至るまで詳細な目録になっているのにかかわらず、 かなり高価だったはずのカメラ・オブスキュラが入っていなかったことだ。あるいは、17世紀初頭はカメラ・オブスキュラの黎明期にあたり、この最新技術がまたデルフトまでは伝わっていなかったとか、いくつも反論はある。このあたりの理由には、あの素晴らしく美しく静謐な絵を描いたフェルメールが道具の手を借りて、つまりインチキして作品を作ったと思いたくないという心情も含まれるかもしれない。個人的には、カメラ・オブスキュラを使うことはインチキだとは思わない。
フェルメールが描いたスケッチなどが残されていなかったり、キャンバスの下絵もないということをカメラ・オブスキュラの使用の理由としている。これに関しては、先ほどのカメラ・オブスキュラが遺産に残されていなかったことの反論にもなるが、フェルメールは室内に小さなブースを作って、キャンバスを置き、そこにカメラ・オブスキュラの像を写して絵を描いたということ推論を行っている。これを立証するために絵の中の室内の描かれている範囲を計算して、それをカメラ・オブスキュラのレンズを使って、カメラ・オブスキュラのブースの中に投影すると絵のキャンバスのサイズと一致することを証明した。このあたりは工科大学の建築学の教授の面目躍如だが、非常にスリリングな読書だった。
検証の対象になった「音楽のレッスン」は、バッキンガム宮殿の所蔵で、実物を見るまで随分時間がかかった。女王の夏休みの期間に開催される美術展の時にしか公開されないからだ。夏のある期間にロンドンに行くというのは、なかなか難しい。そんな訳で、フェルメールの絵の実物を見て回った時に、一番最後になった。