フェルメール作品の新鑑定

by Shogo

驚くほどのニュースでもないが、いつまでも聞けないかと思っていたフェルメールに関するニュースが報道された。それはワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーにある、フェルメールについての調査の結果だ。1作品が、フェルメール本人ではなく、その周辺にいた人の手によるものと断定された。

ナショナル・ギャラリーには4作品が収蔵されている。「手紙を書く婦人」、「天秤を持つ婦人」、「赤い帽子の娘」、「フルートを持つ娘」だ。

このうち、「手紙を書く婦人」、「天秤を持つ婦人」については、来歴や歴史的な情報からフェルメールの作品として疑いがない。しかし、「赤い帽子の娘」、「フルートを持つ娘」については、フェルメールの作品としては信憑性が低いと考えられてきた。この2作品の存在も、フェルメールの作品数が35とか37とか一定しない理由の一つとなっていた。このために、ナショナル・ギャラリーも、この2作品については、フェルメール作ではなく、「attributed to Vermeer」と表記していた。「フェルメール作と考えられる」とでも訳すのだろうか、断定的には展示されていなかった。

今回、疑惑の2作品のうちの「フルートを持つ娘」が本人の作品でないと結論つけられた。

ナショナル・ギャラリーがパンデミックのために休館中に、4作品を並べて徹底的な調査が行われた。このような機会がないと、展示中の作品を長い間、研究することができなかったそうだ。今回の発表によって、現存するフェルメールの作品数の最大数が36と言うことになる。

今回の調査では高性能の顕微鏡による顔料調査や高度な画像処理技術により、様々な調査が行われたようだ。

確実にフェルメールの作品とされる2作品と疑わしい2作品を比べて、その違いがあるのかどうかという手法も含んでいる。この調査の結果、下絵から表面層まで、塗り重ねられた顔料の中の状態までの結果が得られたそうだ。

フェルメールは、下地に荒く砕いた顔料を使い、最終的な表面の層に非常に細かな粒子の顔料を塗っているという。これにより非常になめらかな繊細な絵に仕上がっている。しかし「フルートを持つ娘」については、表面に粒の荒い顔料を使ったために表面がなめらかではない粒状感が残っているという。

私も何度も見ているが、素人の人間の目ではよくわからなかった。しかも、絵に絵筆の毛の断片が残っているそうだ。これは画家が、古いか、あるいは粗雑な筆を使っていることを示していると言う。他のフェルメールの作品ではそのような特徴がないために、これも最終的にフェルメールの作品でないと断定された1つの要因となっている。

つまり、荒い顔料と細かな顔料を塗り重ねる、フェルメールの独特の技法を理解はしているが、これをうまく実行できなかったと判断されている。また、その筆さばきも粗雑で、他の作品には見られない特徴があるようだ。

また、「フルートを持つ娘」には、フェルメールの作品や他の画家の作品でも見られないような初歩的なミスもあるという。下絵が乾かないうちに表面を塗って、表面が先に乾いてしてて、絵の層の中でひび割れなどの問題になっている箇所があるそうだ。フェルメールだけではなく、ある程度の経験のある画家が起こさないミスだと言う。

今回の調査は、絵の層の状態を確認することによって、この発見がなされた。この結果から、同じような顔料の使い方をする、フェルメールの技法を真似た画家の手による作品と断定された。

今回の調査では、「赤い帽子の娘」については、フェルメールの作品とされた。それは、「フルートを持つ娘」に見られる特徴がないことと、「赤い帽子の娘」の筆つかいが繊細という違いがあることのようだ。

また、今回の調査では、「赤い帽子の娘」の制作年をこれまでの1666年から1667年ではなく、1669年と言うフェルメールが新しい領域に挑戦していた時期の作品と位置づけた。この結果、「赤い帽子の娘」について、「attributed to Vermeer」から変更するかどうかは記載されていなかった。

現在までに確認されているフェルメールの作品数が一定しないのは、このワシントンD.C.にある2作品が理由の1つであった。どちらも、他の作品と違いキャンパスではな板に描かれている。それが決定的な理由ではないがこの2作品については、何かが違うと多くの人が感じていた。

この2作品を何度か見ているが、何度見ても他のフェルメールの作品とあまりにも違い、同一の人物によるものとは思えなかった。フェルメール独特の光の表現が荒く、繊細さを感じなかったからだ。何の知識も経験もない素人の意見だからあてにはならないのだが、個人的には確実に違うと確信を持っている。

今回の調査では「フルートを持つ娘」については、フェルメールの作品ではないとされて、「赤い帽子の娘」については本人の作とされた。

しかしながら、学者の中には、そのニュースに対しても、同意してない人がいるようだ。根拠はわからないが、最終的な仕上げは別にしてフェルメールが作品を描き始めた可能性を否定できないと発言していると記事には書かれていた。

では誰が絵を完成させたのか。記録によれば、当時の他の画家と違い、フェルメールは工房を持っていたわけでもなく、弟子もいなかったとされている。フェルメールの長女のマリアが弟子となり、父を手伝って、いくつかの作品を完成させたと言う説を唱える人もいる。

実際のところはタイムマシンでもなければ確認しようがない。だからやはり自分の目で、誰が書いたのか信じていれば良いと思う。今回ナショナル・ギャラリーは「フルートを持つ娘」のみをフェルメールの作品をとしなかった。

しかし、フェルメールの周辺いた、マリアのような人物が、フェルメールを手伝い、その技法を学んで、最初に完成させたのが、「フルートを持つ娘」で、より習熟してから、「赤い帽子の娘」を完成したと考えれば、どうだろうか。もはや真実は歴史の彼方だが、板に描かれた2作品ともに、フェルメールではない。少なくとも、陰影と繊細な華やかさのフェルメールではないというのが素人の私の意見だ。

来年の2月から6月にかけて、アムステルダムのライクス博物館でフェルメールの回顧展が開催されることになっている。すでに、全作品の実物を見てしまっているので、行かなくても大丈夫だが、生きているうちの最後の大規模な展示になりそうだから、行って見たい気もする。来年は別の予定もあるので、難しそうだな。

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