ユーミン「時のないホテル」と30数年の年月

by Shogo

ロンドンの朝の散歩の途中で花の配達のバンの写真を撮った。水平が取れていなかったのでもう一度撮り直して確認のために液晶をみたら、Browns Hotelの文字に気がついた。その瞬間に30数年前の夏の日に戻っていた。

大学生の頃、夏に毎年、車で旅行した。その年は友人の車で北陸から長野方面に旅行したのだった。友人の車なので運転は主に友人で自分はサブ。同様に音楽の選択権も友人にある。そんなことで、その夏の10日間ほど朝から晩までユーミンを聞くこととなった。勿論ユーミンは知っているし、音楽も聞いたことはあった。

中学生の頃から当時流行のフォークソングも聴いたりしたが、はやりメインストリームは英国ロックだった。ユミーンは大学生になって林美雄パックでよくかかっていたから「ひこうき雲」とか知ってはいた。まだ当時は後の超メジャーではなく、普通のメジャーなシンガーソングライターだった。この言葉ももう死語か。ともかくその夏に当時出ていたアルバムをすべて朝から晩まで聴くことになった。初めはどれも同じだったが、だんだん区別がつくようになって旅行から帰る頃には、一人前のファンになっていた。

と言っても気取っていたので好きな音楽はと聞かれてもユーミンとは答えなかった。ボブ・ディランだったり、ニールヤングだったりムーディブルースとキングクリムゾンとか答えていただろう。ビートルズやローリングストーンズとも答えなかった。メジャーが嫌いなのだ。

まだ若くて元気だったから行き当たりばったりの旅行をして、行き先も決まっていないし宿のあてもなかった。夕方になって目に着いた街でモーテルとか旅館とかに泊まって旅行していた。どこかにその時に撮った写真もあるはずだが、もう何十年も見ていない。ずっとそんなことも忘れていた。なぜ、その旅行を思い出したか理由は分からないが、ロンドンの暗い空との対比で、明るい日本の高原の夏を思い出したのだろうか。あてもない気ままな旅行を求める、仕事に追われる日常からの逃避なのだろうか。

「時のないホテル」は、実際にはそれから何年かして就職してから、ユーミンのレコードとかコンサートに関係するようなことになった最初のアルバムだった。それでこの「時のないホテル」とはBrowns Hotelと知っていた。それが毎朝のように歩いている通りにあった、とその時に初めて気づいたのだ。この瞬間までユーミンもBrowns Hotelも考えたことがなかった。実際には、こちらは裏口でだから花屋の配達が来ているのだが、その方が自分にはふさわしい。

「時のないホテル」の少し後の「昨晩お会いしましょう」のアルバム・ジャケットはイギリスのデザイン会社のヒプノシスによるものだ。レコードのジャケットのデザインとして、ベスト3には入る。

80年代の前半にユーミンは、イギリスに向いていたのだろうか。確かにカリフォルニアという感じよりもロンドンが似合う気もする。中でも「時のないホテル」は多分一番好きなアルバムで、最近は聴いていなかったが久しぶりに聴いても良い曲ばかりだ。

大学時代の夏の旅行から始まったユーミンブームは、80年代の仕事のかかわりでピークを迎え、80年代には仕事やプライベートで大抵のコンサートに行っていた。そして80年代の終わりにアメリカに行ったから彼女の円熟期であり一般的な人気のピーク(と思う)80年代後半から90年代のほんの最初だけ経験したのだった。最後にコンサートに行ったのは10年ほど前に代々木オリンピックプールが改装された体育館だ。それは家族で行った。それ以来持っているCDもめったに聴くことも無くなっていた。

あの朝以来、時々CDを聴いて今朝も「時のないホテル」を聴いているが、思い出すのは昔のことばかりだ。

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