「心が折れる」

by Shogo

日経の記事で「心が折れる」という言葉の語源を知った。この言葉は1987年に初めて使われ1990年ころから拡がり、2010年までには 一般的になっていたそうだ。記事によると大辞林第3版=三省堂、2006年にも収録され、その意味は「苦難や逆境などで、その人を支えていたよりどころがあっという間になくなってしまう」と表記されているようだ。

その言葉を使ったのは、女子プロレスラーの神取忍が最初だそうだ。1987年のジャッキー佐藤との試合の際に相手の体を傷つけることではなく、「心を折る」ことで試合に勝とうとしたということで使った。この表現を彼女が使うまで、「心は折れなかった」。心はもやもやとした概念的なもので、骨や木のように折れるということを誰も考えてこなかった。

この言葉を収録したインタビューから他の人に拡がり、10年経つか経たないかで一般に知られるようになり、インタビューの19年後には辞書にも載り一般的な言葉になったということだ。でも、それ以前には全く違う意味でつかわれていた。「自分から折れる」のように譲歩するというような場合に使われていたそうだ。NHKのサイト「トクする日本語」からこの言葉の解説を引用する。

引用———————————————————————————-

「くじける」「めげる」にかわって、近年よく耳にする『心が折れる』という表現。【諦める・挫折】といった意味で「厳しい練習に何度も心が折れそうになっ
た」などと使われます。しかし、本来「心が折れる」とは【気持ちを相手側に曲げる】という意味だったのですよ。「折れる」は「双方が折れて話がまとまっ
た」など、【譲歩する】という意味でも使われます。これは、自分の主張・気持ちを曲げて相手側に寄り添わせるということですよね。実際に、江戸後期の読本
『春雨物語』には「山の物海の物ささげ出でてもてなすにぞ、是に心折れて飲みくらふ(=山海の珍味でもてなしたら、機嫌よく飲み食いした)」とあります。
これは相手側に気持ちを曲げて”打ち解けた”、つまり【心が和らぐ】という意味です。また、昭和初期の小説『抒情歌』には「父は母の死に心折れて、私達の
結婚をゆるしてくれましたの」とあります。これは”妥協する”方向へ曲げた、つまり【気弱になる】という意味です。しかし、現在の「心が折れる」は、”曲
げる”よりも”ポキッと折れる”イメージが強く、新語を解説した本には【懸命に努力してきたものが、何かのきっかけで挫折し立ち直れなくなる状況】と解説
されています。

(NHK「トクする日本語」)

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言葉は生き物だから生まれては死んでいく。ナウいとか話がピーマンなどと誰ももう言わない。でも 「心が折れる」は長い時間かけて人口に膾炙してきたことと、何か心がポキっと折れる感じは感覚的に分かり易い。だから、これからも使い続けられるだろう。

写真は、ロンドンのTrafalgar Square

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