なぎさホテル

by Shogo

ヤクルトの村上は最終打席でホームランを打ち、王選手を抜く56本目を記録した。三冠王とホームラン56本の日本人選手最高の本数だ。素晴らしい。一方、ヤンキースのアーロン・ジャッジは五回打席に立ったが、ヒットも打てなかった。記録はお預けだ。

先日、アレックス・ソスの写真展に行った時に、懐かしいので、葉山・逗子あたりをしばらくうろついた。

その時に、前回はいつだろうと考えてみると、最初は、ニューヨークに赴任する直前の頃に、逗子マリーナでのユーミンのコンサートに行ったことを思い出した。でも、しばらくして、それが最後ではなくて、会社の行事で葉山に泊まって逗子マリーナでテニスをしたことがあったことを思い出した。それはニューヨークから帰ってからなので、ずっと新しい。1998年頃のことだろうか。それからでも、もう四半世紀だ。夜遅くまで飲んで、次の日にテニスして、あの頃はまだ元気だった

葉山マリーナの前を通って、逗子の海岸まで行くと、それよりずっと前の出来事を思い出した。1980年代の初めだから、すでに40年以上が過ぎている。依頼された仕事で、葉山に来たのだった。

仕事はユーミンのコンサートのお手伝いだった。その頃はユーミンの夏のコンサートは、逗子マリーナではなく葉山マリーナで行っていた。葉山マリーナは、場所が狭いこともあり、数年で逗子マリーナに場所を変えた。その依頼された仕事は、葉山マリーナのコンサートの何回目だったか、よく記憶していない。

ユーミンのヒット曲「コバルト・アワー」には、曲の途中でセスナの爆音が入る。それを実際にセスナを飛ばして、その効果音をライブで入れたいと言うことだった。それだけでは寂しいので、その頃流行っていた飛行船も同時に飛ばすことになった。飛行船といっても巨大なものではなく、リモコンで操作できる無人の小ぶりのものだ。

飛行船のほうは簡単な話で、所有者と話をつけて、カッティングシートを貼り付けて装飾をすることと、いつどのように飛ばすかと言う事を決めれば良いだけで後は、当日状況見ながら運用するだけなので簡単な話だった。

厄介なのはセスナで、まず遊覧飛行を行っている会社を探して、葉山まで飛行できることを確認するところから始めた。なぜか渋谷の会社に行ったことは覚えているが、それは、何の目的だったのか覚えていないが、そこで遊覧飛行の話をしている自分を覚えている。

最終的に、どうやって見つけたか忘れたが、ある遊覧飛行の会社と話をした。その会社は調布飛行場にあり、調布まで打ち合わせに行った。まるでユーミンの別のヒット曲の「中央フリーウェイ」の世界だ。実際に中央高速に乗って調布まで行った。

コンサートのセットリストでは、「コバルト・アワー」はちょうど夕暮れの時間に合わせて行うと言う事だった。遊覧飛行の会社との打ち合わせで、驚くべきことを知った。

その当時、今は知らないが、調布飛行場は、夜間には着陸できないと言うことだった。つまり、夕暮れギリギリに葉山に来て、葉山マリーナの上空で音を出していると言う事は、調布飛行場には戻れない。それで遊覧会社の提案は、そこから夜間でも着陸できる名古屋の空港まで飛んでいくと言うものだった。当然費用はかさむが、それについてはクライアントの了解も取れてGOが出た。

セスナのほうは、タイミングが非常に難しく、コンサートの状況見ながら、葉山近辺の海上上空に待機をしているセスナに無線で連絡をとって、指示をしなければならない。これについては、タイミングがずれれば大失敗と言うことになり非常に緊張する話になった。

コンサート前日に葉山マリーナで打ち合わせをした後、宿として取っておいたなぎさホテルに向かった。なぎさホテルは、それまでにも何度か入ったことがあったが、宿泊するのはその時が初めてだった。なぎさホテルでなくても良かったが、葉山マリーナからは歩いてでも行ける距離で、便利が良かったからだ。

それから、なぎさホテルには、様々なストーリーがあるから、一度泊まってみたいと思った。特にその頃は、それまでにユーミンのコンサートの演出をしていた伊集院静さんが、そこに住んでいると言うことを聞いていた。そういうミーハー的な気分だったのだろう。

その夜は、その仕事を一緒にしていた同僚と仕事の関係者と食事をして飲んで、どこに寝たかもよくわからない状況でその日は終わった。なんとなく古びた部屋に寝たことだけ覚えている。

葉山マリーナの前から逗子海岸まで行くと、以前はなかった石原裕次郎の太陽族の碑が立っていた。観光資源化するのは悪くないことだが、単純な碑ではなくて、もう少しやり方があるものだろうにと思って通り過ぎた。

そこからさらに進むと、以前は、なぎさホテルがあった場所にはファミレスのようなものが並んでいて、なんとなく寂しげな雰囲気だった。鮮やかな色の新しい建物で、寂しいと言う雰囲気よりも、安っぽいと言ったら方が良いのだろうか。なんとなく日本の経済の長期低落を見る思いをする。

なぎさホテルが取り壊されたのは知っていたが、いつのことだろうとその時に調べてみると1989年だった。昭和が終わったのと同じ年に壊されていると言うのも何か因縁のようなものを感じた。

40年も前の葉山マリーナでの仕事は、予定していたセスナが名古屋の天候不順のために調布飛行場を飛び立てなかった。それで、セスナの登場はなく、仕事上の緊張感はなくなった。飛行船を飛ばすだけけの簡単な仕事になった。だが、葉山も風が強く、上空に止めることができずに、飛ばしては通過するだけの予想とは違う展開となった。

結局、コンサート中は呼んでおいた知り合いとユーミンのコンサート見ていると言うなんとなく緊張感のない仕事になってしまった。事前の準備と実際が違うと言うのは良くあることだ。

アレクス・ソスを見た後で、昔のことを振り返りながら40年も前のユーミンのコンサートのことを思い出していた。どこへ行っても昔のことを思い出すだけで、未来に向けて何かと考えないのが老人の特性だ。

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