趣味性とNikon Dfのこと

by Shogo

Nikon Dfが発表になってまたしても新しいデジカメに心惹かれる日々が続いていた。F3などのフィルムカメラを彷彿させるデザインや上から見るとダイヤルですべての設定がスイッチをoffの状態でも分かること(新しいレンズでは絞りは分からないが)、古いレンズも使用可能なことなど魅力が一杯だ。でもデジカメは要らないかなと言い聞かせて一旦は諦めた。

その気持ちが再燃したのは、D700を8万円で下取りしてくれるという表示を量販店で見かけたから。カタログを貰ってみていると、D4の映像素子を使って高感度性能が上がって、それほどの高画素数ではないことなどから、D800やD600と違ってD700の後継機種であるような気もしてきた。D600のような軍艦部の安っぽさもない。D700を5年も使っている(持っている?)から、そろそろ買い換えても良いかなという気持ちもしてきた。

しばらくカタログを見たりしながら買い替えを考えていたのだが、そんな気持ちが変わったのは友人と食事をしていてDfの話になってから。彼が言うにはDfはデジタルカメラを使う人が、趣味性の高いカメラで撮りたいという欲求を満足させるためのカメラがDfで、そもそもフィルムカメラで撮っている人がフィルムカメラに似ているデジカメを買うのは違うのではないかということだ。フィルムカメラで撮ってアナログでプリントする人がなぜフィルムカメラに似たデジカメが欲しいのかということ。確かに正論であり真理である。

確かにデジカメを今買っても使う機会はあまりない。だから一瞬でもDfが欲しいと思ったのは、写真のためではなく、機械としてのカメラつまり玩具が欲しかっただけだ。 また未現像のフィルムがたくさんあり、未プリントのネガもたくさんある。今やらなければいけないことはそれで、さらに最近やってきた引き伸ばし機を稼働させることである。やることはたくさんある。玩具を欲しがっている場合ではないのだ。それにかなりの資金も必要だ。印画紙はだんだん値上がりしているからそれを買うのも大変なのにカメラを買っている場合ではなかったのだ。

ということでDf熱はまた冷めたのだ。とりえず今は。でもこんなことばかり考えていて本当に馬鹿だな。正しい意見を言ってくれてありがとう。

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