杉本博司 写真も撮る哲学者

by Shogo

果たして杉本博司を写真家と呼んでいいのか分からないが、好きな写真家の一人だ。モノクロ写真で有名だが、写真という技法も使うモダン・アーティストと呼んだほうが良いのかもしれない。

私が最も好きで、かつ最も有名な作品のシリーズは「海景」(Seascapes)だ。彼のユニークな視点を体現したもので、空と海が出会う様子を、グレーの階調の抽象作品へと昇華させている。写真というだけでなく、抽象絵画でもある。

海景だけでなく、数多くのシリーズがあり、それぞれにコンセプトが明確な写真家だ。単に撮って作品ができるというより、プロジェクトを始める前に、かなり考えて作品を作っていることが伺える。その意味でも、モダン・アーティストの系譜に繋がる人だ。

8×10の大判カメラと超長時間露光の写真技法などで写真館として有名であるが、ダダイズムやシュルレアリスムのような運動や現代アートの体現者、さらには哲学者と言ったほうが適切だ。

彼の作品は、時間と人間存在の小ささを感じさせるものが多い。それは、静謐さと細部への細心の注意を特徴とする大きなプリントの構成力にあると思う。簡単にいうと、初めて見てもその表現と意味がダイナミックなことがすぐに分かるのだ。特に、今回は、有名な2つのシリーズ、「劇場」Theaters と 「海景」Seascapes について考えてみたい。

「劇場」シリーズ :時間の軌跡

1978年に始まった杉本の 「Theaters 」シリーズは、アメリカの古い映画館、特に1920年代から1930年代の華麗なロココ様式やアール・デコ様式で設計された映画館が被写体になっている。このシリーズで杉本は、上映される映画と同じ長さの露出で写真を撮るという技法を用いている。この手法により、それぞれの画像には、劇場の華麗でありながら空虚な建築物に囲まれた、発光する白い長方形(映画のスクリーン)が描かれている。このシリーズは、劇場そのものを精密に写しとっているだけでなく、時間と体験のはかなさを表現していると思われる。特に廃業した映画館が使われたこともあるということなでの、その豪華な装飾の裏の虚しさが心に迫る。作品には、映画の上映時間分の時間が写し取られ、スクリーンの光が劇場の内部を照らし出し、映画、観客、物語の痕跡を残さず、映画という体験全体とその経過時間が虚な光に還元されると言って良いのだろう。

「海景」シリーズ: 時間の本質をとらえる

1980年に始まった「海景」シリーズは、杉本の作品の中でもうひとつの重要な作品である。このシリーズでは、彼はレンズを海に向けて、空と海とが出会う水平線を捉えている。これは、まだ文明が発達する前の原始人が見た風景を再現したものだと言われている。確かに海と空の風景には何も人類が築いてきたものは写ってはいない。空と海という明暗さの激しい環境をフィルムに定着させるためには、多くの技術的な要素が必要とされているものと思われ、実物のプリントを初めて見た時は、その美しさに感激した。

原始人の見た風景というコンセプトを知らなくても、海と空の自然が抽象的な作品へと変貌させられているのを見ると、静寂と永遠に止まった時間を感じる。写真とは、流れる時間という捉え所ない概念が停止したところで誕生している。そして、その停止した時間は、原始人が見たであろう何十万年前と現代を繋げている。なんという発想だろうか。

U2が2009年に「No Line On The Horizon」のアルバムのジャケットに採用しているが、アルバムそのものが、杉本の作品から触発されているのかもしれない。

両シリーズにおける杉本のアプローチは、従来のアーティストというよりは、哲学者に近い。彼は、カメラを使って、私たちの存在を永遠の時間との関係の中で捉えようとしているようにも思える。時間が相対化し、私たち個人も普遍的な宇宙の一部になっている感覚だ。それでいて、そのモノクロのプリントの諧調は限りなく美しい。

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