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いつもの散歩道に、いくつも地元のいろんな事の説明のパネルが立っていたりする。ある日、萩原朔太郎と言う文字に反応して見てみると、側の鉄塔が萩原朔太郎の青猫のきっかけとなったと言うことが書かれていた。
都会の空に映る電線の青白いスパークを大きな青猫のイメージに見てゐるので、当時田舎にゐて詩を書いていた私が、都会への切ない郷愁を表象している。
定本青猫 自序
前橋に住んで、この鉄塔のスパークを思い出していたそうだ。朔太郎が、その鉄塔の下に、今はない三角屋根の家を建てて移り住んだのは、昭和8年(1933年)だそうだ。今から87年前。きっと変わらないのは鉄塔と、その付近の丘の起伏くらいで全てが変わっているのだろう。そして、娘の萩原葉子が、「蕁麻の家」で書いたのは、その家のことのようだ。
今の鉄塔で青いスパークを私は見たことがないが、朔太郎が生きた昭和の初め、つまり100年近い前はそうだったのだろう。そのスパークを青猫に見立てるのはやはり詩人の技だ。
この鉄塔は、駒沢線61号鉄塔という名前のようだ。丘から見ると三軒茶屋の方向に向かって鉄塔が並んでいる。補修はされているのだろうが丈夫なものである。電気の供給は生活のライフラインだから、特別の注意を持って管理されていることだろう。このあたりの、環七のそばでは、鉄塔が建っていることを見かけたことはあったが、朔太郎の青猫と関係があることなど全く知らなかった。これからは注意して地元の説明パネルを読むこととしよう。