坂本龍一さんが3月に亡くなってから毎日、彼の音楽を聴いている。選曲としては、静かなピアノ曲をプレイリストに設定している。どちらかと言えば悲しげな曲ばかりだ。
これを小さな音でかけていると、彼の死をきっかけに聴き始めたこともあるので、ほぼ同世代の彼の死から、自分の死にも思いが至る。だが、別に深く考えているということでもない。たまたま、アップテンポでない曲ばかりを選んでいるので、考え事をしたり本を読んだりする際にちょうど良い環境音楽になっている。そして、聴いていると心が落ち着く。
しばらく前に人はなぜ悲しい音楽を聴くのかと言う記事を読んだ。人は現実世界では悲しい思いをすることを望まないが、悲しい気持ちになるような音楽などの芸術を楽しむことができるという、「悲しい気持ちのパラドックス」についての研究の記事だ。
2016年に行われた研究では、悲しい曲に対する感情反応を、怒り、絶望といったネガティブな感情を含む「悲嘆」、自己憐憫を感じる「メランコリア」、慰めや感謝といった心地よい痛みを感じる「甘い悲しみ」の3つに分けた。そして多くの被験者は、この3つの感情が混在した感情を悲しい音楽から受けると言う。
また、別の研究では、音楽のモード、テンポ、リズム、音色が感情にどのような影響与えるかを調べて、ある種類の音楽は、文化や国を超えて普遍的な効果があることがわかったそうだ。例えば、子守唄は、どの国においても安全と言う感覚をもたらすように、同じような音響的な特徴を持っていると言う。どのような文化背景や言語を持っていても、音と感情には同じような反応を示すようだ。
別の研究者の仮説では、孤独を感じているときに、音楽を聴いたり、本を読むことで、自分がそれほど孤独ではないと感じるような体験ができるから、悲しい音楽や芸術に接するのだと言う。この仮説を証明するために、様々な研究を行ったようだが、記事で読む限り、あまり明確な結論は出ていない。
その研究の結果から別の仮説が生まれたそうだ。その仮説は、音楽に対して感情的な反応を求めて、その音楽を聴くのではなく、他者とのつながりを感じるために聞くのかもしれないということだ。結局、何度読んでもこの研究の意味はよくわからなかった。
自分の経験から言えるのは、悲しい気持ちになりたいから、悲しい音楽を聞きたいわけではない。これは事実だろう。坂本龍一さんの死に対して、ある種の感情があったことは事実だが、だからと言って泣いた訳でもない。彼の悲しげな音楽を聞いても、特に悲しい気持ちになるわけではない。研究者の仮説のように、彼の音楽を聴いて、誰かとのつながりを求めているわけでもない。
彼の死をきっかけにして、彼の音楽を聴いていると、自分の死の恐怖を受け入れやすくなっていることに気がついたということはある。その結果、心が落ち着くような気がする。だから、悲しみの気持ちを求めているわけではない。その意味では、2016年の研究の3つの感情が混じった気分を、彼の音楽を通して味わっているだけのかもしれない。
坂本龍一さんといえば、同世代の偉大な音楽家であり、YMOのスターであった。最初はポップな音楽で登場したが、徐々に映画音楽などでさらに有名になった。YMOは、好きなバンドで、そのレコードを毎日のように聞いていた時代があったが、流行が終わると聴かなくなった。YMOのあとでは、クラシックの素養とバックグランドに根ざした音楽を発表するようになった。その時代の音楽を聞いている。多くはピアノ曲だ。
その彼をニューヨークに赴任してからSOHOにあった蕎麦屋でよく見かけた。スーパースターであり、いつも連れの女性と二人で静かに食事をしているので、話しかけるような真似をした事はない。月に何度か、その店に行った。行くたびに、そこにいたので多分毎日のようにいたのだろう。その当時、その店は食事も美味しくて雰囲気も良いから。日本人はもちろん、アメリカ人にも人気の店だった。
そのような思い出があるからといって、彼の音楽を聞いたときに、そのイメージは浮かんでこない。むしろ大海原を風が吹き渡っているようなイメージだ。憐憫、メランコリア、甘い悲しみの混じり合った感情味わいたいからなのかは知らない。ただ気持ちが落ち着く。研究室で本を読んだり、考え事をする際に、Bob DylanやRolling Stonesのような音楽を聴いていると集中できないからだけかもしれない。
ともかく、人間は実は耳や目から入る情報に影響を受受けやすいということだけ事実だ。