朝の散歩から帰って、朝食を食べながら、大谷のMVPの発表待つ。獲るのは確実なので、満票かどうかだけが関心だった。そして満票でのMVP獲得。おめでとう大谷選手。
1995年に野茂英雄がメジャーの扉を開いてから、数多くの選手がメジャーリーグで活躍した。その野茂の活躍は目覚ましいものであった。2度のノーヒットノーランを含め、日本人投手としてメジャーリーグの注目の的となった。
そしてイチローである。彼の活躍もまた、野手としての野球選手の理想の形をメジャーリーグに示してくれた。もはや、日本人がというレベルではなく、歴史的に活躍した、すべてのメジャーの選手を超えたといってよいのだろう。
そして、大谷。ピッチャーとしてバッターとしてベーブ・ルース以来のメジャーリーグでの活動例がないほどの影響をメジャーリーグにもたらした。野球の枠を超えて、アメリカ中の注目の的となった。これは、社会現象だ。
この3人以外の日本人選手も含めて、日本人メジャーリーガーの活躍は日本人のイメージを大きく変えてきた。やはり、顔が見えるというには大きなことだ。
それにしても、イチローにしても大谷にしても、そのインタビューの受け答えを見ていると、その落ち着きと頭の良さにいつも羨望の眼差しを向けているのは私だけではないだろう。昨日の大谷のインタビューの受け答えを見ていても、私にはとても真似のできないものだ。
大谷のMVP獲得のニュースを見た後、幸せな気分で新宿まで出かけた。小春日和で、カメラも持っていった。新宿に行ったのは、久しぶりの友人に会うためだ。日本とアメリカを行き来している友人に、IT関係の日米ビジネスの現場の話を聞くためである。コロナウィルスにより、この2年ほどは、ほとんどオンラインの会議で仕事をしているようだ。その彼と、かつて、全米の様々なIT企業訪問してビジネスの可能性を探っていた時代のことを思い出しながら、しばし昔話をして帰ってきた。
彼の話の中で、大きく頷かされたのは、かつてアメリカのIT企業は、ハードウェア製造のために日本企業のパートナーシップを探っていた。しかし、かれらのビジネスはサービスに移行したために、もはやアメリカのスタートアップはハードウェア製造のために日本企業を必要としていない。あるいは、そもそも日本企業をパートナーとは考えてはいないということだ。
この失われた30年の彼我の差を感じた。かつてアメリカのIT企業を訪ねていた頃は、先方もビジネスの可能性を考えて歓待してくれた。当時との違いに驚きとともに大きな不安を感じる。
日本経済のファンダメンタルの低迷とは別に、なぜか円高を保ってきたが。しかし、このところの円安で、ついに日本は実態通りの高度経済成長以前の、発展途上国に戻ろうとしているのかもしれない。
それでも、国民が幸せなら良いが、貧困や自殺などあまり良いニュースもなく、決して幸せな状況にあるとも言えない。
東京オリンピックで夢をもう一度と、かつて成功したトリックを使ったものの、コロナウィルスにより頓挫してしまった。いやむしろ、コロナウィルスが無くとも、60年前と今は社会・経済・世界が変わっているので、オリンピックのトリックが有効に機能したかどうかについても疑問だ。
なんとなく先行きの暗い不安な思いまま新宿から帰ってきた。