散歩の途中で選挙の掲示板を見ていたのだが、見ていて困ってしまった。投票したい人がいないのだ。ならば、素直に棄権すればよいかと考えたが、棄権はまずいから、なんとか考えなければいけない。棄権はいけないことか考えてみるが、重要な権利と義務の放棄だと観念的いけないと思うだけで実は実感はない。だから棄権もやむを得ないかなとも思う。普通は、その場合には、よりましと思える人に投票すべきなのだろう。
でも、投票したくない時のために「ネガティブ」投票を選択できないかと考えていた。普通のポジティブな投票が、どうしてもできない場合には、この人だけはいやだという人に投票するのである。 「ネガティブ」投票は、通常の投票からマイナスされるので得票数は減る。これも民意の反映だと思うのだが、どうだろう。選びたい人か、選ばれて欲しくない人のどちらかに投票するのだ。こうすれば棄権率は減るだろう。ちょっと思っただけだから、どんな問題があるかは分からない。ただ、歴史的にはギリシャの時代の陶片投票と同じだから先例はある。あれは指導者を追放するための、一種のリコール署名みたいなものだからやや意味が違うが。
たまたま、今、読んでいる本が、ナチス政権下のドイツの探偵ものだが、ゲシュタポとかナチス党とか出てきて暗い小説だが、これがなんとなく日本の運命を暗示する。憲法改正とか国防軍とかやかましいが、このまま行くと暗い時代に逆戻りのような予感がする。尖閣から始まって問題が日中で起こっているが、国防軍などができた日にはアジア全体で反日運動が起きるだろう。子供の頃に田中首相の東アジア外遊で各国で反日デモが起きたが、同じように日本の軍国主義化に反対する運動が起きるだろう。それで、さらに怖いのは日本では誰も反対しないことだ。
現時点で勝つと予想されている政党群の政権が成立すると、日本はアジアから政治的に孤立して、それから経済的にも孤立が進んで、今の困窮状況がさらに進みそうだ。それからさらに進んで徴兵制が施行され核武装した国防軍のある日本は、世界の孤児となってお友達は北朝鮮だけ・・・というのは冗談にしても、相当ひどい状況が予想される。なんとかならないのだろうか。私の棄権や投票だけでは流れは止まりそうにもない。
話はガラッと変わって、その本の今まで読んだところまでの引用は、「女性はほめてほめすぎるということはない。ちょうど犬にビスケットをあげすぎるということがないのと同じように」 チャンドラーにしても誰にしても、男尊女卑のこういう比喩は探偵小説の伝統のようなものだ。