スーパー雑草

by Shogo

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天気が悪い日が続いていたが、今朝は朝からよい天気。忠犬はいつも通り土曜日の朝は早い。人が休みだということを知っているようだ。天気も良く日差しも強いので散歩ですっかり汗をかいてしまった。

今週、新聞の記事で目を引いたのは、政党の党首選びや島のことではなく、「スーパー雑草」。 雑草という草はないと言ったのは、昭和天皇らしいが、ここでの雑草は作物ではない、余計な草のこと。

アメリカで大豆・トウモロコシを栽培する時に、遺伝子操作をして除草剤に強い大豆・トウモロコを作り出して、除草剤を使いながら大豆・トウモロコシを作っていると、不要な雑草が徐々に耐性を持つようになるとのこと。それでどうしているかは分からないが、さらに別の種類の除草剤を使うのだろうか。同じ種類の除草剤を使い続けないようにと指導されているようだが、いずれにせよ大量に除草剤を使っているのだろう。

この話を読んで思い出したのは、「ジュラシックパーク」のこと。小説でも映画でも、琥珀に閉じ込められた、恐竜の血を吸った蚊からDNAを取り出して恐竜を再生するのだが、その際に繁殖を始めないように雄だったか雌だったかだけを作り出す。でも問題が起こるというのが話の発端。

原作者のマイケル・クライトンはお医者さんだったから、科学的にもっともらしく説明されるのだが、雌雄がそろっていない恐竜が勝手に繁殖を始めてしまう理由を、(私には)説得力のある説明をしている。それは、蚊から取り出した遺伝子が完全ではないので、蛙の遺伝子を利用して足りない分を補ったことにしている。そしてその蛙の遺伝子が雌雄の変更を自ら起こったということになっている。確かに生物によっては雌雄が変わるケースがあるようだ。蛙がそうだったか知らないが、何かありそうな感じがした。

その際に、クライトンが使った表現は「生命は道をみつける」だ。つまり雌雄どちらかしかない再生された恐竜は、繁殖のための道を見つけるために蛙のその能力を使って、個体が雌雄を変更するというのだ。小説は、問題が起こらないと話が展開しないから、恐竜を作り出して、それからさあ大変の問題を、 「生命は道をみつける」を使って話を転がしているのだが、この辺りは科学が分からない私には科学的な感じがしてしまう。

それで 「スーパー雑草」なのだが、除草剤を投与続けられると「生命は道をみつける」。だから耐性を持つようになってしまう。そういえば院内感染とかになる細菌も抗生物質などの投与が続くと変化して抗生物質への耐性を持って、毒性の強いものになっていくらしいから、あれと同じなのだろう。ここまで書いて、要は院内感染と同じで、わざわざ「ジュラシックパーク」まで持ち出さなくてもよかったと気づくが、新聞を読んだ時に「ジュラシックパーク」を連想したし、もうここまで書いてしまったから仕方ない。

それにしても、こういう話を聞くと普段食べているものが安全なのか心配になるが、安くて大量に供給するためには効率的な栽培方法が必要で、除草剤を使わずに手作業で雑草をとっていると、野菜がバカ高いものなってしまうから仕方ない部分もある。でも、そんなことを続けていると100年後とかにはどうなってしまうのだろう。

朝から晴れているが、今日は予定があるので自転車で出かけようかと思うが、台風が近づいているので家の準備もしておかなくては。

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