自分のことは分からない

by Shogo

ここでは政治的な話はしないのだが、今週の消費増税のニュースを読んだりしていて、大変なことになりそうだと不安になる、それと同時に、まじめにやればやるほど、他のことが目に入らないようなトンネル視に陥りやすいのが政治家でも自然かなという気がしてくる。

目の前の状況に対応するのが精いっぱいで大変な状況の中で、将来に目を向けて根本的なレベルで変革をするというのは勇気もいるが正確な現状認識と未来への対応についてのクリエイティブなアイディアが必要だ。こう書いている自分が全くできないので人のことを言えないのだが。

今回の問題については、財政赤字は大変な問題なので当然対応しなければいけないのだが、いくつもの視点が必要だ。景気の問題や税金の使い道や年金の改革など様々な要素がからんでくる。景気の対応というか日本の将来像の提示とその共有化の作業は全く手つかずだし、財政支出の見直しは全くなされず、仕分けはあったが無駄の見直しがされたとも思えない。それから最初に言われた税と年金の一体改革の議論はいつの間にか消えてしまった。そんな中で消費税だけあげるというのは、トンネル視に陥って他のことは目に入らなくなったからだろう。

20世紀の終わりから、かつて言われた脱工業化社会やグローバルビレッジ、プロシューマーなどの言葉が言葉でなく現実化してきている。世界の歴史のなかでも日本の歴史のなかでも大きな転換期にあることは間違いない。そんな中で日本はどうあるべきかという議論は何もなされていない気がする。

子供のころには教科書に、日本は貿易立国の国だと書かれていたが、これは今でも有効なのだろうか。有効だとして、それはもう電気製品や車ではないかもしれない。その前が繊維であったように、電機製品と車が他のものに変われば良いのか。一時言われたようにクールジャパンとしてアニメを輸出するようになれば良いのか。結論が出ていない以前に国の戦略がない。それは民間のことで政府は税を集めるだけだというのだろうか。

目も前の状況に追われて独りよがりになるのは人の常で、そうはならずに大局を見定めるのが、人の上に立つひとのあるべき姿だと思うので、そうあってほしいものだと切に願う。中にいるともちろん事情が分かっているから難しいのも承知しているが、それが仕事だとお願いしたい。

私などは目の前の対応に追われて数十年、顔をあげて先を見ることもせずに足元の小石ばかり拾ってきたので、それが習い性になってしまった。だから写真を撮っても、自分ではすごく気に入って傑作かもと思うが、人から見たら訳のわからない写真だと言われることが多い。古今東西の作品を見て技術やアイディアを学び、そのうえで自分しかできない独創的なことを作り上げることができれば良いのだが、その努力もしていないし、独創的なものもない。人のことをとやかく言っても自分がやるとなると、そばで見ている時とは勝手が違ってくる。岡目八目とはよく言うが、選良と呼ばれる人には、その困難な仕事をやっていただきたいとお願いしたいと思う日曜日の朝だ。

昨日の嵐もおさまって朝の散歩は気持ちが良かった。5時に起こされたが、早起きは三文の値打の朝だ。隣家のモクレンも満開で、近くの中学校の桜は蕾が膨らみ、ややピンクがかって見えた。昨日は朝、出遅れて結局プリントせず。忙しかった三月に溜まった雑用をこなしただけで終わってしまった。グループ展の写真を考えると遅くても4月中旬までにもう少しプリントしなければいけない。そうでないとフラットニングが間に合わない。でも今日のような気持ちの良い日は、花粉もあるが外に行きたい気分で暗室の気分にはならない。

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