新型コロナウィルス感染症の発生からもう1年以上経つと言うのに、まだまだ先が見えない。政府は、この1年何をしたのだと言う声も聞かれる。確かに外出自粛を呼びかけているだけで、昨年は店舗の営業停止、今年は主に飲食店の営業停止にといった対策をとっているだけだ。ワクチンの承認に時間がかかるなど、緊急事態と思えないような対応に批判が集まっている。
これについては、強力な私権制限を行わなかった政府を支持する考えだ。ただし、それでもできることはあったと考えている。
北海道、岡山、広島に緊急事態宣言が出た。この数週間の間にこの地域では急速に感染者が増えている。ただ広島に関して言うと、無料のPCR検査を県内各地で行っているので、当然のことながら陽性者の数は増える。他の県と同じようには比べられない事情がある。しかしこれを行うことにより、陽性者を隔離して感染を防ぐと言う有効な手段となっていると思う。
これが、昨年初めに日本全国で行われていれば、状況は少しは違っていたのではないかと想像する。徹底的に感染者を見つけ隔離すること、海外からの感染者を見つけ隔離すること、それができていれば、感染は広がらなかった。そのような対応を行わず、マスクの配布のような小手先とも思える対応は無策だった。
今年の初めの感染者の急増の際には、東京は突出していたが、4月以降の急増では、全国的に感染者が広がっている。強い感染力を持つ変異種の影響とも考えられている。しかし、もう一つの理由は自粛疲れだと思う。この一年何も有効な対策がないことに疲れているのだ。
世界ではワクチンの接種が進み、アメリカでは感染者数も死亡者も急速に減少している。日本でも、ようやくワクチンの接種が始まっているが、数にすれば微々たるものなので現時点ではあまり効果がない。高齢者から接種が始まっているが、そもそも高齢者は感染を広げる確率が低いので、感染者数増加に歯止めをかける効果はあまり期待できない。
このような状況を受けて、私の勤務する大学でも、授業は対面からオンラインに変更された。当面は6月1日までの期間限定の対応だ。だが、今後の感染者数によっては延長される可能性もある。
メディアでは、このような状況の中でオリンピックが開催されるかどうか、あるいは開催すべきなのかどうか議論が増えている。無観客でも開催しようとする考えは、サンクコストの典型的な事例とも言える。今まで投入した資金や努力が無駄になってしまうことを恐れて、途中でやめられないと言う心理的な傾向だ。
観客を入れるかどうかは、6月に決定すると言うことだ。無観客で行うのであれば、リスクは低いと考える。ただ問題は、ワクチンの接種が進んで沈静化している国とインドなどのようにまだまだ先の見えない国がある状況で、各国が選手の選考を行って、オリンピックに選手団を送り出すことができるかどうかと言う問題の方が大きい。
オリンピックの開催の是非が話題になってるのと同じように、今週は株価の急落も話題になっている。パンデミックにより各国の経済が大幅に減速している中で、救済のための資金が大量に投入され、株や不動産がバブル化してきた。それが、アメリカなどでは、ワクチンの接種が進み、先が見え始めたことにより、むしろインフレ懸念のために金融が引き締められるのではないかと言う観測が出てきたことが原因だ。この影響を受けて日経平均も1割程度下げている。
この1年数ヶ月、投資どころか自分の生活の見通しも立たない状況の中で生活をしていると、強い無力感を感じる。ユバル・ノア・ハラリの本に出てくるように、人類は地球最強の生物として君臨してきたはずなのに、まだ感染症に打ち勝つことができない。そして、今後も近い将来においても完全に勝利することを難しそうだ。
とりあえずできる事は、外出を控え感染症を少しでも減らし、自分の健康のために、人混みを避けて、近所を散歩することぐらいしかできない。週末になったが、来週から始まるオンライン授業のために、今週末は授業の動画の作成に入らなければいけない。やっていることが、去年と同じなので気分が落ち込む。ただ、私権を制限するようなことをしない政府を持つことが正しいことだとも思えるので、このままワクチンの接種の進行を待つのみだ。