テレビ番組がどれだけ見られたかを測る「視聴率測定」は、主に特定の世帯に協力してもらい、そこに設置された機器や日誌によってデータを収集する「パネル調査」が中心だ。このパネル調査は長年にわたり業界標準として機能してきた。だが、テレビ視聴率測定の分野で「次の大きな波」とも言える、抜本的な変革が訪れようとしている。
この変革の中心にいるのが、視聴率測定の米国ニールセンだ。同社は2025年1月に、新しい測定方法である「ビッグデータ+パネル」の認定を取得した。
この新しい方法が画期的なのは、従来のパネル調査に加え、セットトップボックス(STB)やスマートテレビから得られる膨大な視聴データを組み合わせている点にある。つまり、協力世帯という限定されたデータだけでなく、はるかに多くのテレビ機器から直接得られる実際の視聴行動のデータを活用することで、より網羅的かつ詳細な視聴実態を把握しようという試みだ。
従来の視聴率測定では、限られた数の世帯のパネルの視聴行動から全体の傾向を推定していた。しかし視聴環境の多様化により、特にニッチな番組や視聴者が少ない番組では、サンプルサイズの限界から正確な測定が難しくなっている。場合によっては、実際に視聴者がいるにもかかわらず、測定パネルにその視聴者がいないために、視聴率がゼロと報告される。
ビッグデータ+パネル
この課題に対処するため、ニールセンは「ビッグデータ+パネル」という新しい測定手法を開発した。この方法は2025年1月にメディア・レイティング・カウンシル(MRC)から正式に認定を受け、アメリカでは、テレビ視聴率測定の新たな標準として急速に普及しつつある。
ビッグデータ+パネルの仕組み
ビッグデータ+パネルは、パネルデータとセットトップボックス(STB)からのリターンパス・データ(RPD)やスマートTVからの自動コンテンツ認識(ACR)データなどのビッグデータを組み合わせることで、視聴者測定をより正確にする手法だ。
具体的には、約4,500万世帯のビッグデータと7,500万台のデバイスからの情報を、米国の約42,000世帯(101,000人以上の実在の人物を含む)から成るゴールドスタンダード・パネルのデータと組み合わせて分析する。これにより、より深い視聴者インサイトを得ることができる。
ビッグデータ+パネル測定のメリット
1. ゼロ視聴率問題の解消
ビッグデータ+パネル測定の最も顕著な効果の一つが、「ゼロ視聴率」問題の解消だ。ニールセンの分析によると、2023年第1四半期に従来のパネル測定でゼロ視聴率だった8,454のテレビ番組について、ビッグデータを加えて測定したところ、ゼロ視聴率は99.9%減少したという。
これは特に若い視聴者層やニッチな番組で効果を発揮する。例えば、パネルデータのみで測定した場合にヒスパニック系ネットワークでゼロ視聴率を記録していた3,471件の番組が、ビッグデータ+パネルで測定すると完全にゼロ視聴率が解消された。
2. 測定精度と安定性の向上
パネル測定にビッグデータを追加する主な利点の一つは、粒度と測定の安定性が向上することだ。より深いデータセットによって、視聴推定値の安定性が増し、サンプリングエラーが減少する。
サンプルサイズが大きくなることで、特定の視聴者層のより正確な視聴状況を収集できるようになる。これにより、多様な人口集団や特定の年齢層の視聴行動をより精密に把握することが可能になった。
3. 包括的な視聴者像の把握
ビッグデータだけでは、誰が視聴しているかという具体的な詳細を欠いており、一般的に多様な人口集団や特定の年齢層を十分に反映していない。また、地上波アンテナからの視聴、ブロードバンドのみの家庭、家庭外での視聴を測定することができないという限界がある。
しかし、ビッグデータをパネルデータと組み合わせることで、これらの限界を克服し、より包括的な視聴者像を把握することができる。家庭内外を問わず、様々な視聴環境にある視聴者の行動を捉えることが可能になった。
スポーツ番組におけるビッグデータ+パネル測定の活用
スポーツ番組、特にNFLの放送において、ビッグデータ+パネル測定は大きな変化をもたらしているそうだ。
スーパーボウルでの視聴者測定
2025年2月に開催されたスーパーボウルLIXでは、フィラデルフィア・イーグルス対カンザスシティ・チーフスの試合が、世帯平均視聴率41.7、世帯シェア83を記録した。ピーク時の平均視聴者数は、第2四半期の午後8時~8時15分(米国東部時間)に1億3,770万人を記録し、合計で前年比3.2%増の1億2,770万人の視聴者数となった。
ビッグデータ+パネル測定を活用することで、この数字はさらに拡大され、スーパーボウルLIXの実際のリーチは1億8,280万人と推定された。これは従来の測定方法では捉えられなかった視聴者層を含むものだ。
AmazonのThursday Night Football
アマゾンは早くからビッグデータ+パネル測定を採用した企業の一つで、2024年のThursday Night Footballの平均視聴者数は従来のパネルベースの視聴者数1,320万人よりも8%高い1,420万人と報告されているそうだ。
さらに遡ると、2022年にAmazonが『Thursday Night Football(サーズデーナイトフットボール/TNF)』の独占配信元として初めて放送したレギュラーシーズンゲームでも、ニールセンとAmazonの測定によって、平均視聴者数が1,530万人と報告されていた。これは従来のニールセン測定のみを用いた場合の平均1,300万人を上回るものだ。
家庭外視聴の測定強化
2025年にはニールセンのOOH(Out-Of-Home)測定が米国のテレビ人口の100%をカバーするようになりました。これにより、スポーツバーやレストラン、友人宅など、自宅以外での視聴も正確に測定できるようになった。
スーパーボウルのような大規模イベントでは、グループでの視聴が多いため、この測定方法の改善は特に重要だ。2024年のスーパーボウルでは、NFLとニールセンの共同調査によって、実際の視聴者数は約2億1,000万人――アメリカ人の約3分の2――に達していたことが明らかになった。
今後の放送業界への影響
1. 広告取引の変化
ビッグデータ+パネル測定の普及により、広告取引の方法が大きく変わるかもしれない。より正確な視聴者データに基づいて、広告主はターゲット層により効果的にリーチできるようになる。
特に若年層やニッチな番組の視聴者に対するアプローチが改善され、これまで十分に評価されていなかった番組や時間帯の価値が再評価される可能性がある。広告主はより細分化された視聴者層に対して、効率的な広告配信を行える。
2. コンテンツ制作への影響
より詳細な視聴者データが利用可能になることで、コンテンツ制作者は視聴者の嗜好をより深く理解できるようになる。これにより、ターゲット視聴者に合わせたコンテンツの制作が促進され、視聴者の満足度向上につながるかもしれない。
3. 測定基準の国際標準化
ニールセンのビッグデータ+パネル測定が成功を収めれば、同様の手法が国際的な視聴率測定の標準となる可能性がある。日本を含む他の国々でも、同様の手法が導入されるかもしれない。
4. ストリーミングサービスとの融合
テレビ放送とストリーミングサービスの境界が曖昧になる中、ビッグデータ+パネル測定はこの二つの世界を統合的に測定する基盤となるだろう。Netflix、Disney+、Amazon Prime Videoなどのストリーミングサービスと従来のテレビ放送を同じ基準で比較できるようになれば、メディア計画や広告戦略の立案が格段に効率化される。
日本では、ニールセンは視聴率測定から撤退しているので、ニールセンによる「ビッグデータ+パネル」の導入が、どうなるかわからない。視聴率測定の最大手のビデオリサーチが、同様にシステムを導入するかもしれない。いずれにせよ、ストリーミングサービスの視聴、家庭外視聴の増加により従来の視聴率測定が実態を反映していないことは確実だ。だから、このニールセンのシステムのような測定方法が主流になることは確実だろう。