久しぶりの友人と会って色々な話が出来て楽しかったのだが、その夜のメインイベントは「エーデルピルス」を飲みに行くこと。昔、その友人と一緒に少し仕事をしたことのあるブランドだが、その当時から好きなビールだった。 苦味が強いそのビールは、チェコ産のホップを通常の3倍使っているそうだ。
昔は瓶と缶があったが、今日になって調べてみると、1987年に瓶と缶が発売されて、89年に瓶が、90年に缶が販売終了になったようだ。当然、麦芽100%でおいしいが、忘れたがきっと値段は高かったのだろう。こういう良心的なビールが受けないのは残念なことだ。そういう私も普段は、第二、第三のビールで済ましてしまっている。
今飲めるのは、業務用の樽だけのようだが、2003年から再発売になったそうだ。今回、友人に教えてもらうまで知らなかった。それで、そのビールが飲める店まで出かけたのだ。他のビールとは違う、こういうビールを作るのがサッポロらしい感じがする。いい製品をつくっているのに業界4位まで順位がさがってしまうことの理由はよくは知らない。
友人とも昔話の途中で少し話したが、ビールの製造免許がかなりの大容量しか昔は認可されていなくて、作っている会社は沖縄のオリオンも入れて5社しかなかった。現在ではその制限は緩和されてたくさんの地ビールも販売されている。ビールの醸造キットも昔、東急ハンズで売られていて、知り合いで作っているひともいた。それが、かなりの大容量に制限されていたのはなぜなのだろう。徴税の容易さは思いつくが、たとえば産業育成ということなのだろうか。小さな会社が乱立して争うより、大企業が大量に作っていた方が輸入ビールに対しても競争力があると昔の経済官僚が考えたのだろうか。それが仮のそうだとして、どの程度有効だったのかは分からない。
日本酒は伝統があって輸入を考えなくてよいから規制はできなかったし必要もなかったかもしれないが、ビールは日本では新しいもので国産を育成する必要があると考えられたのだろうか。でも、現在のように多種の地ビールがあって地元に密着している方が競争力があるような気もする。
書きながら調べると1994年に免許の基準の最低醸造量が2000キロリットルから60キロリットルに引き下げられて、多くの地ビールが誕生したようだ。2000キロリットルと聞くとそう大きくもないような気もするが、寡占状態の業界では新しく始めるのは難しかったのだろう。現にサントリーは参入してかなりの苦労の末に現在のシェアまで来ている。ビール以外の本業があったからできたことで通常では難しかったのだろう。
でも、そんなことはどうでもよくて、久しぶりの友人と飲んだ、久しぶりのエーデルピルスはおいしかった。多分、その当時以来なので20数年ぶりということになる。今日の3連休初日は、結婚式。今年は二回目で最近では珍しいことだ。