「未来」の変質あるいは虚構の現実化

by Shogo

老人ということが良く分かる話だが、昔、私が子供の頃に(昔の話を家ですると、家族に江戸時代の話?と聞かれるが)地元の繁華街に行くと、傷痍軍人とサリドマイドの被害を受けた人をよく見かけた。初めは意味が分からなかったが、親に聞いたりしてかわいそうな人たちだとということは何となく理解できた。 長じてより意味が理解できるようになると、なんとなく「オクニ」に犠牲になった人たちと思うようになった。同時に、これらのことから「オクニ」に騙されないようにしようと思っていた。

例えば薬だ。サリドマイドのように国に認可された薬が引き起こしたことだから、薬も信じない。オクニは悪意があるわけでなくても完璧ではない。だから例えば水道の水に含まれている添加物も有害だと信じていた。なので、飲み水はミネラルウォーターをずっと買っていた。昔は、FUJIというブランドの瓶に入ったものしかなく、酒屋にビールと一緒に届けてもらっていた。

311の後の原発事故に伴う放射性物質の放出の際の、「直ちに健康に害はない」は、絵に描いたように、私の妄想に合致する。「オクニ」は私たちのことなど気にはしていない。そもそも「オクニ」を構成する政治家や官僚に国家や国民という概念が共有されているかも良くは知らない。 たぶん、されていない気がする。

前置きの方が長くなってしまったが、311を境に色々なことが変わったが、「未来」についての受け止め方が変わったような気がする。その奇妙な居心地の悪さは、日本があるいは世界が壊れているということを知ってしまったような感じだ。それは、例えば「ブレードランナー」のLA、とか、「AKIRA」の東京であり、「風の谷のナウシカ」の世界だ。核戦争などの原因で、それまで築いた文明や生活がすべて崩壊した後の世界に生きる気分と同じように感じる。

もはや戦後が終わったという総理大臣の発言からそれほど年月を置かないで生まれた私は、戦後というか戦争の痕跡の中で育ったといっても良い。最初に書いた傷痍軍人だったり、闇市の後という場所があったり(下北沢の駅のそばの商店街にはまだかろうじて残っているが)、戦争に行ったことのある親戚や戦時中の出来事を語る父母だったりした訳だ。戦後という世の中の崩壊と再生の中で生まれ育ったと言っても良いかもしれない。

そして高度経済成長の世が来た。学校へ行って企業で働ければみんな幸福行きのバスに乗れると信じられていた。70年には「人類の進歩と調和」というテーマで万博が開かれたが、「調和」はつけたしで、すべては「進歩」のためにあった。技術信仰とマスマーケティングによる大量生産、大量消費の時代だ。日本の将来は明るかった。今日よりも明日はもっと楽しいとみんなが信じた良い時代だ。

公害やオイルショックもあったが、なんとか技術で解決できると信じてきた。答えの一つは原子力発電だったのだろう。5重の壁に守られた完璧な技術の原発。事故を起こしたアメリカやロシアと違って、日本人は別格だと誰もが疑いを持たなかった。水力や火力ではなく未来の技術で作られた原子力による電力を大量に消費する未来の生活が現実として信じ込まされてきたのだ。

ポストモダンは芸術や建築では30年も前からの潮流だが、それはファッションやデザインの問題で、生活の感覚ではモダンな文化が続いてきて、モダンを乗り越えてはいなかったのかもしれない。それは特に日本で顕著だ。

そして、それは今、変わろうとしているのかもしれない。ちょっと前から田舎暮らしを始める人が出てきたり、数年前から「半農半X」が提唱されたり、その萌芽があったが、それが311以降の私たちの生活の感覚に大きな影響を持って行くような気がする。「未来」はもはやピカピカの照明で明るすぎる高層ビルの都市ではなく、鄙びた感じの寒村とまで行かなくても、モダンだけではない伝統的なイメージに変わろうとしていると思う。原子力発電がなければ存在できないようなモダンな未来は、もうありえない。今本当に変えなければ私たちは「風の谷」に住むことになる。

遅く帰った翌朝の法則は健在で今朝もエルに早くから起こされる。散歩に出かけたら小雨で早々に戻って来た。今日の風向きは、ドイツの放射線拡散予想サイトでは北方向だが気分が良くないので5分で切り上げる。

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