1年の始まり

by Shogo

昔に読んだ柳田國男によると古来の日本では1日の始まりは夜明けではなく、日暮れであったそうだ。 その意味では、朝早くから起こされて長く歩いた散歩のこの写真は、1年の始まりではない。1年が始まってから半日は過ぎている。

柳田によれば、日の暮れに1日が始まるので、現在は宵宮と言われる前夜祭のような祭りは、宵宮と本宮という2つの祭りのではなく1つの祭りの始まりだそうだ。また、死者を弔う退夜と呼ばれる行事も1日に6回行われる弔いの行事の1回目で夕方に行われる。アメリカの友人によるとユダヤ人の古い時間観では 一日の始まりは夕暮れだったそうだ。それがいつの頃からか、朝日とともに一日が始まると感じられるようになった。朝の太陽は生の象徴で、一日の始まりにふさわしい感じがするのは、近代人的感覚か。

夕暮れの沈み行く太陽に始まりを感じるのは難しいのだが、それは単に明と暗の明だけを見たいからなのだろうか。生は明暗を含み、輝く太陽と闇からなりたってもいる。夜が一日の始まりで、後半になってようやく太陽が昇り、光が世界を照らす。それも人生のような気もする。闇が無ければ光も無い。光がどんなに早く飛んでも、闇は光を待ち構えていると言ったのは誰だったか忘れた。

昨日の夕方、散歩に出るのが遅くなり、暗くなり始めてから散歩にでた。歩いていると沈む太陽が雲の端を照らして、明るく輝かしていた。見ているとそのそばに星も見えた。特に意味も無く不思議な感じがしたので写真を撮ろうと携帯を取り出そうとすると家に置き忘れていた。散歩用のバッグには朝からフィルムカメラを入れてままにしていた。暗いから写真は撮るまいと家においておこうと思ったが面倒なので入れたままにしていた。なので不思議な雲はフィルムで撮った。

2012年はいろいろなことが起こったが、些細なことではデジカメを使わなくなったことだ。フィルムカメラを使わないときは、携帯で済ましている。今朝の散歩の今年一番の日の出も携帯で撮った。今年がどんな年になるか良くは分からないが、携帯でデジタルの写真を撮るということは変わらないと思う。facebookに上げたりやブログ用に写真をパソコンに転送するということでは、いくつか出たアンドロイドデジカメ以外では携帯に便利さでは勝てない。

いろいろなことがあり、また1年が始まった。同時に個人的にはほぼ同時にまた1つ歳をとる。できることは少ないが、できることを精一杯やっていく年にしたいと思う。

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