境界線

by Shogo

ずいぶん昔のこと、アメリカへの赴任が決まって実家に帰った時に、父に土地の境界線について説明された。その時かその前か忘れたが、境界線の多少の狂いは大した問題ではないと言ったら、叱られた。例え5mmの違いでも境界線が長ければ、大きな資産価値の違いになると。性格的にいい加減なので、そんなことは考えもしなかったが、その時には父はそう言った。

その父も、それからずっと経って言ったのは「バブルの崩壊後には土地は資産ではなくコストになった」。つまり収益を生み出さない土地は、コストでしかないということだ。そう考えると、境界線のわずかなずれは大きくはないともいえる。それよりも、その境界線で近隣ともめるエネルギーの方が遥かに大きい。

お隣の国との境界の問題も同じで、境界の違いは資産価値の違いでもあるが、それ以上にそれをめぐって争うエネルギーと反目が経済活動や文化交流に与える影響の方が大きい。国の行く末に影響を与えるほど価値ある土地はなく、そんなもののために争っては失うものの方が大きい。もちろん地下資源や経済水域の資産的な価値があるが、それが現時点では大きな問題とも思えない。確かにサウジアラビアほどの石油の埋蔵量があれば国の運命が変わるが、仮にそうでもそれを得るために失うはずのものの方が大きいのは歴史が証明している。それよりも、日本人は地道に働いて国を豊かにしてきたはずだ。働くというのは誰とでも仲良くして商売をしていくということだ。

境界線をどんどん譲れば最後は何も残らないが、争えば大きな問題に発展するしかない。今解決することを望むならお互いに究極の方法をとらざるを得ないだろう。それが両国やその国民や世界に幸せな方法ではないし、それはまた短期的に解決できたとしても、より強く境界線が大きな問題として両国にのしかかるはずだ。だからこれは多分解決できないし、してはいけない問題かもしれない。

その意味でトウ小平の知恵は素晴らしい。彼の言ったように棚上げにするというのは大人の考えることだ。なぜなら永遠に解決しない問題だからだ。同じ国内でも境界線で隣ともめるケースもあるし、隣国同士で領土問題のない国の方が少ない。これを通常のこととして隣国と関係を強化して、それで可能ならいわゆる実効支配を何世紀も積み重ねるしかない。多分それでも歴史的経緯として千年後にも同じ議論が蒸し返されるだろう。

そんなことより経済政策や産業育成で国力を高め、その前提として世界各国との経済的文化的な交流を促進して、そこに日本の未来を考えるほうが良いと単純に素直に感じる。 日本人は大抵そう思うものかと思っていたら、そうでもないらしい。どこかで中国系の学校が放火にあったとニュースを見たが、馬鹿なまねはやめてほしい。 某知事の浅薄な愛国心やプライドがこの状況を生み出したことを考えてみよう。過去には過剰な愛国心が多くの命を奪い国を焦土に変えたことを忘れてはならない。愛国心はサッカー場だけでよい。

天谷直弘さんの言った「町人国家」は敗戦国の現状から発想されていても、卑屈さではなく、経済合理性から評価した言葉だと思う。さらに近所の某国などの狂った企てがあった場合には自らを守らなければいけないが、ただの境界線のために国全体や未来を危険にさらしてはいけない。町人のように商売上手に誰とでも仲良くしてゆくのが最良の策の気がする。だから、ここはトウ小平の知恵に立ち返って、お隣との関係修復に努めるのが町人の務めだ。

話に聞くと、大使館周辺の暴徒化したデモばかりが報道される状況とは違い、 北京はそれ以外では平穏らしい。こういうことは過去にも何度もあった。大多数の人は東京の我々と同じように平静でいるようだ。メディアは商売だから開戦前夜のように煽るが、それに踊らされてはいけない。

週末になったが、どうも天気が良くないようだ、今朝も早くに起こされてしまったが、雨がぽろぽろと降っていて散歩日和ではない。

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