Back to Beijing

by elmarit

昨夜遅く北京に戻った。飛行機が北京首都空港に着いたのが11時半なのでアパートに戻ると真夜中を過ぎていた。

旅行は貴州省から都柳江流域の洞族の自治区を巡って、広西省に入った。貴州省からバスと船に乗って1200kmの旅行だった。中国の南部は水が豊富で高い山の棚田にも水が溢れているし、低地では河が人々の生活の場になっているようだ。南船北馬という知識で知っているだけの言葉を実感した。あちこちで都柳江流域の小さな村に住む洞族が、河を渡し船で行き来して生活している様を垣間見た。かなり広い河なので橋はあまりない。そもそも道路も舗装されていない場所が多かったので橋があちこちに架かるまでまだまだ時間がかかるのだろう。

今日の写真の街の風景は最後に宿泊した広西省の三江の街。人口数万人と聞いたがさすがにここには橋は架かっていた。

旅行の最後の日は雨と霧にたたられて予定していた観光は残念な結果だった。桂林の北にある九匹の龍と五匹の虎と呼ばれる棚田の風景は厚い霧の向こうだった。でもそれで思ったのだが、きれいな風景は私にとっては1枚写真を撮れば終わりなのだが、人々の生活の様は何枚写真を撮っても飽きない。宿泊したそれぞれの場所で朝早くから街を歩き、朝市に出かけた。ホテルの朝ご飯ではなく、市場で朝ご飯を食べて写真を撮った。色々な人と話そうとしたり話しかけられたりしたが、どこの国の人で(言葉や風体で外国人と分かるので)どこから来てどこに行き位まで話すと後が続かない。中国語が出来ればもっと旅行を楽しめたのだがと悔やまれる。

そんな市場の生活を見ていると、中国には生(なま)の命があるような気がした。殺菌され包装された生活ではなく、人間の最も根源的な生き方。市場で売られる色々な生きた家禽類や野菜。市場は働く人と買い物に来た人であふれかえっている。みんな生き生きしているように思うのは東京の満員電車に乗りたくないと思っている私が隣の芝生を思っているだけではないような気もした。基本的に必要なこと、生きて死ぬこと。パターンはあっても基本は同じだろう。

九龍五虎を見られるはずの、棚田の一番上の山の汚い小屋に住んでいる老女は私に天気が悪いと話しかけた。その口調は中国語がよく分からない私にも私のために残念がってくれているのが分かった。彼女の小屋の隣はお墓だった。四月四日が清明節で先祖の墓参りをして墓をきれいにする日だということで、すでにその墓は赤い札や色とりどりの紙で飾られていた。 老女の夫や先祖なのだろうか。生と死。東洋的な生死観で言えばそう大きな隔たりは無いのかも知れない。そう、その老女が言うように生きていても毎日天気が良い訳ではないのだから。小雨が降る棚田の山道は霧に覆われて晴れていれば多く出会うであろう観光客はほとんどいなかった。霧の中を一人で歩き回っていると、ガイドが心配してどこにいるのか、道に迷っていないか心配して電話してきた。生と死の境を歩いていても携帯電話からは逃げられず、下界に戻らなければ行けない時間を告げられた。

中国の南部の街を歩いて、最初はいやだった中国がだんだん好きになってきているのに気がついた。もう少し話せたら、そう思いながら帰ってきた。

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