曲がった道

by Shogo

なぜか昔から曲がりくねった道に心惹かれる。先日、倉敷市の曲がった道を歩きながら、南仏プロヴァンスの古都エクサンプロヴァンスの石畳の路地を歩いた時と同じように感じた。

一歩足を踏み出すごとに風景が移り変わり、次に何が現れるのかという期待感に胸が膨らむ。この感覚は、単なる移動とは異なる、視覚体験を与えてくれる。どうしてもカメラに手が伸びてしまう。

曲がった道の魅力の一つは「シークエンス効果」によって説明されるという。それは、「曲がっていることで、次の景観は先に進まないと見ることができない。曲がった道のその先に何が続くのか、期待感を抱かせるとともに、次々に景観が移り変わるシークエンス(連続させて景観が展開する)を生み出す」と説明されていた。これは、自分の体験と深く共鳴する。エクサンプロヴァンスの旧市街は、まさにこのシークエンス効果の連続だった。細い路地を抜けると突如として小さな噴水のある広場が現れたり、歴史を感じさせる建物の角を曲がると、カフェのテラス席が賑わう通りに出たりする。その一つ一つの発見が、歩くことの喜びを増幅させてくれた。それは、まるで物語のページを一枚一枚めくっていくような感覚に近いのかもしれない。

また、曲がった道が心地よいもう一つの理由は、地形との自然な調和にある。自然な起伏の等高線に沿ってつくられた道は自ずと曲がった道になる。倉敷の美観地区の道もそうだった。阿智神社の丘を回り込むように続く本通りは、両側の保存されている町並みとともに心地よい道だった。丘や倉敷川に沿って緩やかにカーブする道、あるいは古い町並みの区画に沿って自然に生まれたであろう小道は、決して人工的に計画された直線とは異なる温かみを感じる。

考えてみれば、直線道路の単調さは、退屈なものだ。北海道の直線道路の例を出すまでもなく、変化に乏しい風景は、精神的な疲労感すら生み出す。これに対し、曲がった道は、私たちの注意を適度に引きつけ、好奇心を刺激し続けるものだ。このために高速道路も適度なカーブを持つように設計されると聞いたことがある。

エクサンプロヴァンスの陽光の下で迷い込んだ路地も、倉敷のしっとりとした空気の中でたどった小道も、曲線が持つ魅力を視覚的に感じさせてくれた。効率やスピードが優先されがちな現代社会において、あえて曲がりくねった道をゆっくりと歩む時間は、忘れかけていた感覚を呼び覚まし、心を豊かにしてくれる貴重な体験となる。これからも、曲がった道だけを選んで歩きたい。

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