本棚で「夜と霧」を見つけた。この本は、大学生の時代から持っている。長く読むこともなかったが、処分せずに持っている。以前手に取ったのは、苦しい仕事をしていた時期だ。FIFAのスポンサーに関連する仕事をしていて、多くの予測できない出来事があった。最大のものは、FIFAとエージェント契約をしていたISL Marketingの倒産だった。この不測の事態で解決できない困難に直面して、1年近くも苦しい日々を過ごしたことを思い出す。そんな頃に「夜と霧」のいくつかのページを読み返したこことがあった。
「夜と霧」は、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に送られた精神科医ヴィクトール・フランクルの体験記だ。彼はそこで家族や友人を失い、飢えや寒さ、暴力や虐待に耐えながら、生きる意味を見出そうとした。
彼は、人間はどんな状況でも、自分の人生に意味を見出すことができるとも、人間は自分の運命に対して、自由に態度を選ぶことができるとも書いている。収容所での死の恐怖や苦悩は計り知れないものだった。彼はそれでもなお、希望を失わずに人生の意味を追求し続けた。
私が困難と自分で思う業務は、彼の苦難に比べれば微々たるものだ。それでも自分では解決できない大きな問題で苦しんでいた。その頃に、やはり偶々、この本を手に取って拾い読みすることで、どんなに厳しい状況でも自分の態度を選び、意味を見出す力があることを学んだと思う。また、困難な状況においても、自分の内面に向き合うことの重要性を理解した。
同時に、この時期に他人と正面から向き合うことも、この本を支えに学んだ。困難な状況では、人は2つの対応が取れる。一つは、正面から向かい合うことと、もう一つは「逃げる」ことだ。あの困難な解決できない状況で、簡単な方法は「逃げる」ことだろう。私は、担当者なので逃げることはできなかったが、多くの人は逃げた。逃げたとは言わないまでも、距離を置いた。その中で、同僚の一人は決して逃げなかった。これの存在が、どれほど苦しい状況で心の支えになったか。そして、結果的には問題を解決し、FIFAからも得意先からも感謝状を受け取り、社内表彰を受けた。この時期に学んだことは、人とも正面から向き合い、理解し助け合うことだ。そこから何かが生まれる。
「夜と霧」は、精神的な強さと希望の力についての本だ。どんなに困難な状況に直面しても、希望を見出すことが大事だと教えてくれる。
あの頃から十数年たって読み返すと、「人生はそれ自体がなにかであるのではなく、人生はなにかをする機会である」という文章が、より重要になってくる。年をとったからだろう。人生の意味とは、あらかじめ在るものでなく、自らの存在を通じて発見し創造していくものだという考え方は、もっと若い頃に影響を受けた実存主義の考え方と同じだ。実存は本質に先立つのだ。
「夜と霧」は、読むたびに、その文章の中に、その時点で意味のある、何か新しいことを発見できる本だ。