飛行機の中で、読んでいた本を読み終えた。それで、Kindleにダウンロードしているデータから、次の本を探していたら夏目漱石全集で手が止まった。それで「こころ」を数十年ぶりに読み返した。着陸までには読み終えなかったが、やめられずに家に帰ってからも読み続けた。著作権の切れた文豪の全集が数百円でKindleで売られているので、いくつか買ってダウンロードしていたのだ。
今読み返すと、さすがに100年前の小説は古い事象や言葉が出てくるが、現代にも多くの示唆を与える普遍的なテーマを持つ作品だと改めて思う。
「こころ」では、「先生」がKとの友情と「お嬢さん」への恋愛感情の間で葛藤し、最終的に利己的な選択をしてしまう。このようなエゴイズムや矛盾は、今ではより一般的だと思う。特に、SNSやデジタルが発達した現代では、他者との関係性がより複雑化し、自分の利益を優先する行動が目立ちやすくなっている。先生が抱える罪悪感と孤独は、彼自身の利己的な選択に起因している。しかし、今では、それを一生抱えて苦しむ人がどれだけいるだろうか。
「こころ」は、明治時代末期から大正初期にかけての社会的・文化的変化を背景に描かれた作品であり、その時代背景が影響を与えている。明治時代は、西洋文化や思想が急速に日本社会に取り入れられた時期だった。これにより、個人主義や自由恋愛といった新しい価値観が広まり、それまでの封建的な倫理観や家制度との間で葛藤が生じていた。これは、漱石が「私の個人主義」で論じていたとおりだ。「こころ」で先生が「個人の自由」と「他者への責任」の間で揺れる心理描写は、当時は新しい問題だったのだろう。
個人主義だけではなく、特に印象的なのは、主人公の父親や先生が、明治天皇の崩御に大きな衝撃を受けることだ。そして、乃木希典の殉死は「明治精神」を象徴していると登場人物たちが認識していることから、小説のテーマは個人主義から時代精神との深い関わりまで広がる。「こころ」は明治から大正への転換期における精神的混乱や不安定さを反映しているのだろうが、100年後の私には想像できても実感はあまりない。
それでも、強い印象が残るのは、先生の人間としての高潔さと葛藤だ。これが、この小説の中心と感じる。先生が妻に真実を語らないことや、親友Kへの良心の呵責に苦しみ、自殺してしまうストーリーに、漱石は、人間としての高潔さや崇高さを込めたのだろう。だが、そのストーリーには、先生の人間としての弱さを加えることにより強調される。だが、今の観点から見れば多少は大袈裟に思う。
これが、「個人の自由」と「他者への責任」というテーマの漱石とその時代での描き方なのだろう。先生は自分自身に誠実であろうとする一方で、恋愛感情という欲望に引き裂かれる。だが、この矛盾こそが、人間らしさそのもので、これはいつの時代にあっても変わらない。
「個人の自由」と「他者への責任」の関係は、今でも重要な課題だ。SNSやデジタル社会では、個人が自由に発言できる一方で、その言動が他者や社会全体に与える影響も大きくなっている。このような現代社会で、「こころ」で描かれた「自由」と「責任」のバランスは、今でも深く響くテーマだ。
そして、もう一つ、最近になって思うことは、Kの自殺の理由だ。以前は、単純に、Kの自殺は、先生とお嬢さんとの三角関係における失恋が主な原因と考えていた。
しかし、最近になって、Kの自殺に対する見方は変わってきた。Kの死は、単なる失恋だけでなく、彼自身の理想と現実のギャップ、すなわち向上心の欠如に対する絶望が根底にあるのではないかと思えるようになったのだ。「精神的に向上心のない者はばかだ」の言葉通り、お嬢さんに恋をして自己研鑽を怠った自分に絶望したのではないかということだ。
ストーリーでは、彼は常に自己を高めようと努力してきた。だが、その努力が無意味であったと感じてしまった。遺書に綴られた言葉の「見込みがないから自殺する」は、失恋の言い訳ではなく、彼自身の内奥から湧き出た真実の言葉だったのかもしれないと思うようになった。
同様に、先生の隠遁と自殺も、若い頃は、その原因は裏切りの後ろめたさによるものと考えていた。しかし、Kの自殺に対する解釈の変化と共に、先生の行動もまた、彼自身の向上心の欠如に対する悔恨の念から来ていたのではないかと思えるようになった。
先生は、Kを裏切ったことへの罪悪感だけでなく、彼自身の理想を追求できなかったこと、すなわち精神的な向上を怠ったことへの後悔に苛まれていたのではないだろうか。彼の死は、過去の過ちに対する贖罪であると共に、彼自身の人生に対する絶望の表れだったと思う。
若い時には、『こころ』は、単なる恋愛小説と思っていたが、そうではなく、人間の精神的な向上心、そしてそれが満たされない場合に生じる絶望を描いた作品として解釈でききると思うようになった。それが、歳をとって読んだ感想だ。
夏目漱石は、Kと先生という二人の人物を通して、人間の内面における葛藤と、それがもたらす悲劇を深く掘り下げているかもしれない。久しぶりに読んだが、その背景や文章の古さにもかかわらず、この作品が今でも人気がある理由がよくわかる。