久しぶりの友人と会うために、新宿まで出かけてランチをした。彼の取り組んでいる仕事は、20世紀の日本の記録として残されるものだ。その過程には多くの困難があり、何も知らないと楽しそうな仕事だと思っていたが、そういうことばかりでもないようだ。でも、歴史になると仕事はなかなかそうはない。もう少しでゴールなので、励まして帰ってきた。
オフィスに戻る彼と別れて、恵比寿の東京都写真美術館に向かった。昨日は月曜日で、多くの美術館が閉まっていたが、東京都写真美術館は開館しているのを確認していたからだ。目的は所蔵作品を展示しているTOPコレクション「光のメディア」だった。だが、せっかく行ったので同時に開催していた本城直季の「unreal utopia」も見た。期待せずに見たが、結果的に見てよかった。
本城直季の「small planet」のシリーズは、この十数年にわたって、雑誌などでたくさん見ている。すでにその驚きはなく、ありふれた風景に見える。いくつかのカメラでは、この逆アオリの効果を画像処理で実現して見せてくれる。
「4×5(シノゴ)」で、高所から撮った逆アオリの風景は確かに面白いが、ただそれだけのことを感じてしまう。瞬間芸のようなもので、一回が勝負だ。それを、見続けさせるのは、努力だ。様々な風景を使って、飽きさせず見させるということは、作家の力量なのだろう。
だが、会場の一角の暗い場所に展示されていた「light house」と題されたシリーズは、ツボにはまるような面白さ。その写真に写っている夜景は、明るい光源が何もない場所の写真で、よく見なければ見えてこない。だから会場の明かりも極端に落とされていた。弱い街灯などに照らされる住宅地の風景は見ていても飽きないものであった。わずかな光に照らされた街の風景は写真の美しさだと感じた。多分スモールプラネットのようなシノゴのカメラを長時間露光して、街にあるわずかな光を丁寧に集めたような写真だ。
写真とは光を撮るものだが、光がほとんどない場所の光を集める写真はあまりない。普通は夜景と言えば、光源となるようなものが中に映り込んでおり、それが闇と光の風景を作り出す。この本城直季の作品は、離れた場所にある光源を直接写さず、そこから染み込んでいるような弱い光を丁寧に集めている。
夜景を撮るのが好きだが、このような写真を撮ったことがない。必ず店舗や住居の明かりを直接写している。「light house」のシリーズを見て、その柔らかな光に見せられたので同じような写真が撮りたくなった。
目的だった「光のメディア」は、やはり充実した内容で楽しめた。会場入ってすぐに、ケルテスの「水面下を泳ぐ人」が展示されていた。この作品は以前、ロンドンでジョン ・レノンの写真コレクションの展示の際に見ているので2度目だ。1917年の作品だから、今から100年以上前に、この作品を作るケルテスに当時の人は驚いただろう。
会場には、アンセル・アダムスやスティグリッツなどの大家の作品ばかり並んでおり、大変良い展示であった。中でもマイナー・ホワイトは好きな作家なので、展示されていた6点の作品はそれぞれとても良い。特に好きな「納屋2棟」は、夕日か朝日か分からないが、光がとても美しく好きな作品だ。
街には人が溢れていたが、ガーデンプレイスは人影も少なく静かな感じでそれもよかった。