画像生成AIが写真の意味を変える

by Shogo

技術の進歩は様々な変化をもたらす。芸術の分野もその例外ではない。例えば顔料がチューブに入ることによって変わったと言われている。そして、写真の誕生が絵画の方向性を大きく変えたことだ。

写真の誕生を、ニエプス兄弟におけば、1826年。ダゲールの「ダゲレオタイプ」とすれば、1839年。その後の1870年代から1880年代に「印象派」の運動が始まった。印象派の絵画はそれまでの写実性を捨てて、形態を描かず光を描いた。その後、印象派からキュビズム誕生、そして最後には抽象画まで展開した。

写真の登場が、現実を記録する手段として登場したことで、絵画は現実を忠実に再現する必要性から解放され、より表現的で抽象的なアートへと発展したということだ。

近年では、コンピュータの登場でコンピュータ・グラフックスやメディアアートという新しい表現形式を生んだ。

画像生成AIの普及は、今また2次元の芸術を大きく変える可能性がある。今後は写真と絵画の区別は徐々に薄れていくものと思われる。

まず、AI技術の進化は、写真撮影、編集、さらには写真の意味づけにおいて大きな変化をもたらす。例えば、AIによる画像編集ツールは、プロの写真家でなくても高品質な写真を作り出せるようになる。また、AIが撮影技術や構図の選択をサポートすることで、より多くの人が素人離れした写真を撮ることができるようになる。

そして、AIがプロンプトだけで高品質な写真のような画像を作り出せるようになると、写真の意味について考える必要がある。これは、写真の本質と目的について考え直す機会となる。

従来の写真は、現実の瞬間を捉え、それを通して物語や意味を伝える手段だった。しかし、AIが作り出す画像は、現実の被写体を必要とせず、想像上のシーンを具現化できる。これは、写真が現実を記録するだけでなく、想像や創造を表現する手段としても使われることを意味する。

このようなAIが作り出す画像は、人間の創造性や感性を刺激する新しいアートフォームとしての可能性を秘めている。このようなAIアートは、写真家やアーティストにとって、新しい表現の手段になりえる。これは、従来の写真とは違う新しい芸術表現ということだろう。

プロンプトによる写真クオリティの画像が作り出されることで、写真は、より絵画的な性質を帯びる。AIが想像上のシーンをリアルに描き出す能力を持つことで、伝統的な写真や絵画のようにとは違う新しい創造や表現の手段となる。

この変化は、写真の定義自体を再考させることになり、写真と絵画の境界線が曖昧になる。写真のように現実の瞬間を捉えるメディアから、よりアーティスティックな表現を追求する芸術へとシフトする。それを、写真と呼ぶのかどうかは、これから決まるということだろう。デジタル写真の初期には写真と呼ばずに画像と言っていた。

プロンプトによる写真画像生成が進むと、フィルムによる写真作品はアートとしての価値が高まるかもしれない。それは、AI画像生成が一般化すると、フィルム写真の持つ独自の魅力や手作業による芸術性が再評価される可能性があるからだ。

フィルム写真は、撮影から現像まで、そして暗室でのプリントのプロセスに手間と時間がかかる。この手間が、フィルム写真の芸術性を高める。少なくとも私はそう思っている。AI技術の即時性や効率性が重視されるデジタル写真とは対照的な価値をフィルム写真は持っている。

フィルム写真は、独特の質感と暖かみを持っている。また、撮影から現像までのプロセスが写真家にとっては創造的な作業であり、そのプロセス自体にも大きな価値がある。フィルム写真はまた、偶然性や予測不可能性を含んでおり、それが作品に独特の魅力を与える。さらに、フィルム写真は時間とともに劣化するため、時間の経過とともに変わるアート作品としての側面もある。

それは、写真とは時間の固定であり、その固定された時間を鑑賞時点で時間の経過を感じることは、また時間を感じるという二重の感覚を味わえる。

これからの写真家やアーティストは、AIによる画像生成とフィルム写真の両方が存在することで、表現の幅を広げることができるだろう。それぞれの手法が持つ特性を生かし、新しいアートの形を探求することが可能になる。問題は、これから、どれほどフィルム写真が残っているかだ。

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